長良川の花火は江戸期から 疫病退散、豊作願う

2020年08月30日 07:38

 夏の夜空を彩ってきた花火大会が、今年は東京五輪や新型コロナウイルスの影響で軒並み中止となった。岐阜県内各地では、新型コロナの終息を祈願するサプライズ花火が打ち上げられ、多くの人々を元気づけた。岐阜の花火は豊作や疫病退散、平和と、江戸の昔から時代ごとに人々の願いが込められた、心のよりどころともいえる存在に違いない。

 岐阜の花火を代表する岐阜新聞社主催の全国花火大会の歴史は古く、「全国煙火大会」との名で戦前に始まり、日中戦争が勃発した37年の第4回を最後に中断。終戦翌年の1946(昭和21)年8月10日に、全国に先駆け本格的な花火大会として再開した。劇団はぐるま(同市)の創立者で劇作家・演出家の故こばやしひろしさんは、19歳当時に堤防から花火を見た。「それまでの厳しい束縛から解き放たれて、自由、文化の時代の到来を感じた」と、2005年8月1日付本紙朝刊の記事の中で語っている。

 1946年から打ち上げを担当してきた村瀬煙火(岐阜市)三代目の村瀬光正社長(72)は「昔から花火は平和の象徴であり復興のシンボルだった。暗い世相を照らしたい、市民に喜んでもらいたいとの思いが花火にはある」と語る。

 花火大会は、戦争犠牲者を慰霊し、県民に再び活気を取り戻してもらいたいとの願いから、岐阜の戦後復興の象徴として、年々盛大になり、全国花火大会は夏の風物詩となった。

 岐阜での花火の歴史をさかのぼると、1733(亨保18)年に、当時の尾張藩主徳川宗春が飛び地領だった「岐阜町」を訪れ、鵜飼を見た後、長良川の花火を見物したとの記録が残っている。藩の文書には「鵜飼後、花火大分、此景気見物、難尽筆候」(鵜飼後に花火がたくさん上がった。この雰囲気は見もので、筆舌に尽くしがたい)とあり、藩主をもうならせる花火だったことが想像できる。

 半世紀後の81(天明元)年には、隣の加納藩東島村東堤(現在の岐阜市鏡島大橋北側付近)で、村人が資金を出し合って花火を打ち上げた、と加納藩下級武士の日記に記されている。その後も大飢饉や疫病、水害からの復興、さらには豊作を祝って、数年に1度、村人が花火大会を催していた。江戸時代から花火は身近な存在だったのだろう。

 今年は新型コロナの終息祈願や福祉・医療従事者への感謝の気持ちを込めた花火が、全国各地で事前告知のないサプライズ形式で打ち上げられた。県内でも、市民有志らが打ち上げを行っている。岐阜市鏡島地区では自治会などがサプライズ花火を企画した。同自治会連合会の桐生伸治会長(64)は「今年は全国花火大会が開かれず、寂しそうな子どもたちを笑顔にしたかった。自宅や近所から花火を楽しんでくれた。今度はコロナ終息を祝う花火が見られるのが楽しみ」と話した。

 今年多くのサプライズ花火を手掛けた村瀬煙火四代目の村瀬功専務(34)は「この夏は、大会の大小に関わらず、花火が希望のともしびとして皆さんに愛されているのだと実感できた。コロナ禍の中だからこそ、日本人の心に寄り添ってきた花火の原点を届けることができ、花火師冥利(みょうり)に尽きる」と笑顔を見せた。


カテゴリ: くらし・文化