五平餅は戦国デビュー 岩村遠山氏が川中島で振る舞う?

2020年09月20日 09:01

  • わらじ形と団子形の五平餅=恵那市岩村町 
  • 「あまから」に伝わる五平餅の由来を紹介する資料=恵那市大井町 
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◆発祥の一説「兵癒やし、信玄も食す」

 「うまい!」。NHK朝の連続テレビ小説のせりふ一言で一躍、全国区となった東濃東部の郷土食五平餅は、地域によって餅の形もたれの味も違い、バリエーション豊か。いつ、どこで生まれた食べ物なの? 調べてみると、郷土食として食べている長野県木曽・伊那地方、愛知県三河地方も「生誕地」を主張している。五平餅は東濃発祥なのか。戦国時代までさかのぼり、ルーツを探った。

 2018年度上期の連ドラ「半分、青い。」。五平餅の全国デビューは、鮮烈だった。ヒロイン鈴愛(すずめ)演じる永野芽郁さんが売れっ子漫画家役の豊川悦司さんへ五平餅を差し入れする場面。「うまい。これは真実の食べ物だ」。この一言でこの年のゴールデンウイークに、ロケ地の一つ、恵那市岩村町の五平餅店の売り上げが軒並み記録的な伸びを見せた。

 「もちろん、恵那、中津川が発祥に決まっとる」。記者が発した「いったいどこの料理なんですかねえ」という問いに語気をひときわ強めたのは、2011年に1回だけ開かれた「五平餅シンポジウム」でパネラーの1人を務めた研究家柘植弘成さん(77)=恵那市三郷町=だ。

 柘植さんによると、五平餅は、恵那市周辺は「ごへだ」、中津川市周辺では「ごへい」と呼ばれ、農家のごちそうとして定着。加茂郡八百津町から恵那市北部など中山道の北側は団子状、愛知県奥三河から長野県南部へとつながる中馬街道沿いはわらじ型だった。一説には、食べ歩きできるよう中山道沿いは団子状となったともいわれる。たれも大別すると、中山道を境に北はしょう油、南はみそに分かれるという。

 発祥は諸説あるようだ。創業63年の老舗、恵那市大井町の恵那駅前の「あまから」には、創業当時から伝わる資料がある。そこには戦国時代に武田勢と上杉勢による川中島の合戦(1553年~1564年)で、「美濃の五平」なる人物が、戦いで疲労困憊(こんぱい)した兵士たちに五平餅を振る舞ったと書かれる。店の三代目西尾大介さん(46)は「本当かどうかは定かではないけど、祖父にずっと言い聞かされたので、五平餅が生まれたのはこの地方だと固く信じています」と話す。

 他にもこんな物語が。

 地元岩村町の歴史を掘り起こし続ける93歳の郷土史家西尾精二さんは著書「いわむら郷土読本」で五平餅の由来を取材を基に解説している。それによると、同じく川中島の合戦で岩村城主遠山氏が兵として送った「遠山五平太」という人物が常備の焼き飯に焼きみそを塗って振る舞い、評判を聞きつけた武田信玄も食した、としている。

 発祥は諸説あるが、ごく一部の郷土料理でしかなかった五平餅の第1次ブームには、パック商品製造を手がける食品卸の古屋産業(恵那市大井町)が一役買ったようだ。同社によると、中央自動車道の恵那峡サービスエリアが供用開始された1975年、当時の日本道路公団から「地元の料理を」と誘われ、五平餅をサービスエリアで売り出したという。

 三重県や山梨県、長野県など数あるサービスエリアで五平餅を販売し、五平餅の「第1次ブーム」をつくりだした。古屋恵子社長は「発祥ともなると諸説あり、どこがと主張すると角が立ちますが、五平餅を世に最初にアピールしたのはわが社と自負しています」と誇る。


カテゴリ: グルメ 社会