岐阜羽島駅は政治家「鶴の一声」って本当?

2020年10月12日 08:13

 1964年10月、東海道新幹線開通と同時に羽島市の田んぼの中に開業した「岐阜羽島駅」。そもそも、なぜ羽島なの? 大物政治家の"鶴の一声"で決まった「政治駅」というのは本当? 歴史をひもとくと、旧国鉄は最短ルートと運行管理の面で最初から羽島に狙いを定めていた。むしろ政治的な圧力に左右されなかったからこその岐阜羽島駅だった。

◆「秘境駅」車利用に最適

 JR東海によると、岐阜羽島駅の乗降客数は一日平均で2019年度が約5600人。東京-新大阪間の17駅中16位だ。ネット上では"秘境駅"と呼ばれる岐阜羽島駅だが、車の利用者には使い勝手がいい。周囲にコインパーキングが並び、駐車料金は1日最大200~500円。愛知、三重県のナンバーも目立つ。

 なぜ、羽島なのか。岐阜日日新聞など本紙の当時の報道によると、名古屋-京都間は三重県の鈴鹿山脈をトンネルで抜ける案もあったが、1959年11月、現行の関ケ原ルートで決定。設置予定駅の第一報は名古屋の次が米原だったが、3日後に「羽島市を追加」と伝わる。

 この"追加"に、当時の自民党副総裁で県内選出の衆院議員、大野伴睦(ばんぼく)氏の関与が指摘される。国会で「政治的」と追及されたことが今に伝わるようだが、国鉄は最初から「羽島市に駅を設けることは運転整理という立場から前から考えていた」と説明している。

 どちらかといえば、ルートでもめた。県民からは、東京、名古屋、大阪しか止まらないと考えていたため、通過に多くの反対論が出た。ところが、中間駅もできるというので一転して協力した。大野氏の関与というのも「なら岐阜県でも(どこかに駅を)」という程度だったらしい。岐阜と大垣では「羽島ではなく」と駅誘致運動が始まり、県内の政財界は「県民案」として岐阜市寄りの北回りルートを要望。名古屋-米原を最短で通したい国鉄との激しい綱引きがあったが、最終的に、地盤が軟弱だった羽島市南端を通る国鉄当初案と県民案の中間に当たる現行ルートで決着した。

 この時、大野氏は地元の声を抑制。「新幹線は国家的問題で、岐阜県の都合だけで左右することはできない」と説いたという。県民案を"政治力"で押し通していたら、駅は岐阜市にあったかもしれない。

◆雪と土地が最大の理由

 「駅名に『岐阜』を付けてほしいとは言ったようですが、伴睦さんが羽島に駅を造らせたということは絶対にない」と強調するのは、当時すでに国鉄職員だったJR東海相談役の須田寛氏(89)だ。須田氏によると、関ケ原ルート決定は、米原駅につなげて北陸の需要を取り込む目的もあった。だが、豪雪地帯を通るため、除雪車が必要になった。その待機基地を兼ねた駅の候補地として名古屋-米原間の中間にあり、雪もあまり降らない羽島に狙いを定めたという。

 ルート決定時に、設置予定駅は併設する在来線の駅名で公表。「在来線との併設ではない岐阜羽島は駅名がなかった」ため、急きょ"追加"したように見えたと説明する。

 ただ、不思議なのが大垣だ。旧城下町で産業都市。ルートも市域を貫く。関ケ原ほど雪も降らない。須田氏は「大垣は市街地に近く駅の用地が取れない」と話す。除雪車が待機する岐阜羽島駅は線路が6線。名古屋駅など通常の中間駅の4線と比べ、幅が広い。「相当な面積。羽島だから土地が取れた。立ち退きが少なく済んだんです」

 除雪車の待機基地を確保した上で駅を設ける-。広い土地が必要だったからこそ、田んぼが広がる羽島だったのだ。


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