石垣築造は三木氏?金森氏? 「松倉城跡」発掘調査で論争再燃も

2020年10月14日 08:53

  • 高山市の山城では初の国史跡登録を目指して行われている松倉城跡発掘調査=高山市松倉町城山 
  • 建造者に金森説と三木説がある松倉城跡の石垣=同 

 岐阜県高山市の山城として初の国史跡指定を目指し、市は同市松倉町城山の県史跡「松倉城跡」の発掘調査を行っている。同城跡初の調査で、18日まで松倉山市民ハイキングに合わせて現地を公開中だ。松倉城跡は現存する最大で高さ約7メートルの高石垣が圧巻で、石垣造りの城として全国的にも貴重だと言われるが、石垣の築造者について三木(みつき)氏と金森氏の2説があり、3年前まで地域で激しい論争が繰り広げられた。全国的には金森説が有力だが、決着していない。今回の調査で、新たな物証が発見されるのか注目される。

 松倉城は戦国時代に飛騨を統一した三木自綱(よりつな)が建築したとされ、地域の伝承や寺院に残る記録などで石垣も三木氏が建造したとされてきた。ところが、1990年ごろに全国の高名な城郭学者らが、石垣の金森氏建造説を唱えたことで一変した。金森氏は秀吉の家臣で後に初代高山藩主となり、高山の町の礎を築いたとされる長近が、三木氏の飛騨統一のわずか3年後に、三木氏を滅ぼし、飛騨を統治した。

 大勢を占める金森説の論拠は、松倉城の石垣が規模、技術面で非常に高度であること。後進国飛騨の弱小大名である三木氏がほかに造った城を見ても建造不可能であるとする。織田や豊臣系の城郭のため、家臣の金森氏が大改修し、石垣を建造したとする。裏付ける文献資料はないが、三木氏建造の記述は後世に書かれた一級史料ではない文献で、信ぴょう性に乏しいという。

 これに対し、2015年に郷土史家の岩田修さん(71)=高山市大新町=が自ら編集長を務める飛騨学の会の研究紀要「斐太紀」で金森説に反論し、三木説を再提唱したため、斐太紀内などで論争が始まった。

 岩田さんは三木自綱が南飛騨の木材を領し、経済力があり、織田信長について書かれた「信長公記」にも好意的に書かれていることから信長との良好な関係性を主張。松倉城と安土城の石垣の積み方が類似しており、「安土城の石垣建造後に石工職人が流れてきて、松倉城の石垣を造った」と力説する。松倉山の巨石は良質で加工が容易であったことも裏付けとし、寺院の記録も金森時代に書かれており、三木氏の建造の苦労が書かれているのに金森氏が大改修した記述がないのは不自然だという。

 論争は2年続いたが、金森説を訴えていた郷土史家の佐伯哲也さん=富山市=が退会し、論戦は休止となった。岩田さんはその後も今年8月まで5回にわたり、飛騨考古学会会報「どっこいし」に三木説について寄稿している。

 市による調査は昨年までの準備を経て、先月14日に始まり、本丸に東西、南北各24メートルずつ十字形に調査溝を掘り、東側と南側の石垣の基底部や、西側と南側の崩落状況などを確認した。遺物はまだ発見されていないが調査は12月中旬まで続け、来年も継続予定だ。

 岩田さんは「決め手になる発掘の可能性は低いと思うが、論戦が復活するきっかけになれば」と飛騨戦国史研究の新たな展開に期待している。


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