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「ノーモア関ケ原」平和継ぐ420年 東西武将の子孫招き慰霊



「ノーモア関ケ原」を合言葉に平和を祈る谷口壱泉住職。関ケ原ウォーランドの運営会社社長も務める=不破郡関ケ原町関ケ原、宝藏寺
「ノーモア関ケ原」を合言葉に平和を祈る谷口壱泉住職。関ケ原ウォーランドの運営会社社長も務める=不破郡関ケ原町関ケ原、宝藏寺

 岐阜県不破郡関ケ原町に「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」ならぬ、「ノーモア関ケ原」を合言葉に関ケ原合戦などの犠牲者を慰霊し、平和を祈る寺院がある。民間の関ケ原合戦資料館「関ケ原ウォーランド」の隣に立つ、宝藏寺だ。今でこそ歴史ファンが訪れる観光地だが、当時は"戦場"だった関ケ原。同寺の谷口壱泉(いっせん)住職(61)は「多くの犠牲の上に、今の知名度があることを忘れてはならない」と話す。

 1600年10月21日(慶長5年9月15日)に起きた関ケ原合戦から今年で420年。戦死者は数千人とも数万人とも言われ、関ケ原の村人も被害を受けた。

 同寺では戦と縁深い「大元帥明王」を本尊に祭り、毎年10月21日に東西両軍の武将の子孫を招いて慰霊法要を行っている。関ケ原合戦に限らず、一帯で起きた壬申(じんしん)の乱や杭瀬川の戦いをはじめ、太平洋戦争まで過去の戦の犠牲者も供養。平和を祈るため本来は険しい顔をしている大元帥明王の表情が穏やかなのが、ここの特徴だ。

 多くの命が失われたのに供養寺もなければ、歴史を伝える場所もない-。同寺は関ケ原のきこりだった、谷口住職の祖父、故・彦太郎さんの遺志を受け継ぐ形で1964年、父の故・玉泉さんが建立した。玉泉さんも、旧海軍予科練出身で決死の特攻戦を控えながら生き延びたことから平和への思いが強かった。

 等身大の武将像が合戦絵巻を再現する「関ケ原ウォーランド」も同じ時期に玉泉さんが開設。高度経済成長期を迎える中、ドライブインを併設して関ケ原合戦の歴史を伝えてきた。関ケ原の歴史観光を切り開いた第一人者とも言えるが、一方で僧侶として犠牲者の供養は欠かさなかった。

 玉泉さんから引き継いで運営会社の社長も務める谷口住職は「戦の歴史はビジネスに向かない。史実を曲げて派手にできないし、史実にないこともできない。何よりも犠牲になった人がいる。犠牲者を供養し、そうした歴史があって今がある、と伝えることに意味がある」と話す。

 今年の慰霊法要では、徳川家康や石田三成らの子孫が参列し、平和を願って固い握手を交わす。この420年間に刀や槍(やり)、弓や火縄銃を使って対面で挑んだ戦の形は、離れた場所から兵器のボタンを押すだけになった。「人が苦しむ姿を見なくて済む。簡単な作業になったことは怖い」と谷口住職。そして、この420年間にも戦が繰り返されてきた事実を受け止め、「人間は過ちを繰り返してしまう。それでも、少しずつでも本当の意味での平和に近づいてくれれば」。谷口住職は、にぎわいを見せる天下分け目の地で「ノーモア関ケ原」を合言葉に平和を祈り続ける。

カテゴリ: くらし・文化 社会