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信長の東美濃攻略、堂洞城火攻めを裏付けか 黒色の炭化物発見、兵糧米の可能性



  • 焼けた米のような黒い炭化物が見つかった堂洞城跡での看板取り付け作業=2020年10月末、加茂郡富加町夕田 
  • 堂洞城跡から出土した、焼けた米のような黒い炭化物(右)と土器の破片(中央)、土に交じる木片炭化物(左) 

 戦国時代に織田信長の東美濃攻略で合戦地となった堂洞城跡(岐阜県美濃加茂市・加茂郡富加町、標高191メートル)で、焼けた米のような黒い炭化物が見つかった。堂洞城が火攻めに遭ったことは、信長の側近による一代記「信長公記」や江戸時代の軍記物「堂洞軍記」に記され、地元にも「合戦で焼けた米が出土した」との伝承がある。これまで現場から実物は見つかっておらず、発見された炭化物が火攻めを裏付ける証拠となる可能性が出てきた。

 炭化物は大きさ約5ミリの黒い粒で、穀物のような形状。堂洞城跡にある石碑の西側、地表から約10~15センチ下の地層から出土した。2020年10月末、地元有志が城の由来を記した看板を立てるため、直径15センチ、深さ70センチの穴を掘った時に土に交じっていた。木片の炭化物や土器の破片も見つかった。

 看板設置に同行した富加町教育委員会の島田崇正文化財専門官(47)によると、米とみられる炭化物が見つかった現場は、約6メートル四方にわたって厚さ約15センチの土が盛られていた。

 堂洞城を巡っては、信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」の後、金山城主森長可(ながよし)が加治田(同町)に侵攻する際、陣を敷いた歴史がある。島田専門官は「炭化物が火攻めで落城した時の兵糧米だとしたら、長可が山城を整備した時の盛り土とも考えられ、つじつまは合う」との見方を示し、今後の調査について「郷土の歴史を解明するための方策を探りたい」と話している。

カテゴリ: くらし・文化