岐阜新聞Web

  • 美濃
  • 飛騨
  • 美濃
  • 飛騨


中心部から離れた岐阜県庁舎...なぜ?大物政治家「鶴の一声」きっかけ



  • 1966年に完成した現在の県庁舎。車社会の到来を見越し、岐阜市薮田南の田んぼの中に移転した。東隣では地上21階建ての新庁舎の建設が進んでいる 
  • 落成式の様子を伝える1966年2月11日付の岐阜日日新聞夕刊。式典では「新県庁バンザイ」の三唱も行われた。現在建設中の新庁舎のテープを切るのは誰か 

 岐阜県政をつかさどる拠点として置かれる県庁舎。江戸時代でいえば"城"だ。そのあるじは4年に一度の選挙で決まるが、そもそも、なぜ岐阜県の県庁舎は岐阜市に、それも中心部から離れた場所にあるの? 調べてみると、現在位置に移転したのは55年前、保守分裂の大激戦となった知事選があった1966(昭和41)年のこと。移転は大物政治家の"鶴の一声"がきっかけだった。

     ◇

 岐阜県の県庁舎は、岐阜市に置かれている。それゆえ、岐阜市は県庁所在地と呼ばれる。薮田南という場所は同市の南西部、長良川を挟んだ瑞穂市との市境に近く、羽島市や大垣市からもアクセスがいい。

 県庁舎は、明治時代に岐阜県が誕生してから大きく2度移転している。最初は現羽島郡笠松町にあったが、明治初期、商業の中心地だった「岐阜町」に近い、現岐阜市司町に移転。現在もそこには大正時代に建てられた石造りの旧庁舎の一部が残されている。そして、55年前に薮田南に移った。

 「当時は、なぜあんな所に県庁を建てるんだって反対した人も多かった。田んぼばかりで、車も少なかった時代やで」と振り返るのは、現庁舎の南側、同市須賀に自宅を構える男性(94)。県庁舎の近くなら街が発展すると思い、昭和の終わり頃に移り住んだ。現在は、巨大な県警本部庁舎やOKBふれあい会館も建ち、国道21号を中心に飲食店なども並ぶ。男性は「以前は家の窓から県庁が見えたけど、家が増えて見えんようになった。建設中の新庁舎が完成したら、もっと栄えると思う」と話す。

 県史によると、薮田南への移転は63年、旧県立医科大(岐阜大医学部)の国立移管を話し合う中で浮上した。旧庁舎の西側、現在の岐阜市役所新庁舎建設地などがある一帯には県医大とその付属病院があった。この国立移管を目指して、当時の自民党副総裁で県内選出の衆院議員、大野伴睦(ばんぼく)らが動いていた。

 しかし、国立移管は校舎の増設が条件で、そのための敷地を確保する必要があった。この時、隣接する県庁舎の移転とその敷地の譲渡を助言したのが大野だった。そして、大野案を受ける形で当時の松野幸泰知事が県庁舎の移転構想を打ち出した。「大野自民党副総裁も言っていたように現在の庁舎では駐車場にも困る有り様なので、将来を考えるとせめて百台ぐらいの車が置けるところへ移転したい」。岐阜日日新聞(岐阜新聞)に、その時の松野談話が載っている。

◆車社会を見越し移転

 現庁舎は64年7月に起工し、66年2月に完成。64年開業の東海道新幹線「岐阜羽島駅」と同様、田んぼの中に建てられた。ただ、田んぼといっても、工事が始まった国道21号岐大バイパス沿線で、広大な駐車場も完備。車社会の到来を見越しての選定だった。

 「薮田は近い将来、その飛躍的発展が期待される岐阜、大垣、羽島三地域の頂点ともいうべき要衝に位置している」とは、起工式当日の岐阜日日新聞の1面コラム。周辺開発まで見込んで、岐阜市の中心部ではなく市境に置いたことを評価する人もいる。

 JR東海相談役の須田寬氏(89)もその1人だ。本企画の取材で岐阜羽島駅の歴史を語った際、県庁舎の位置にも言及。「あの場所に置いたのは面白い。周辺の地価も上がる。賢明な政治判断だと思う」と話していた。岐阜市外に置くと県庁所在地が変わって反対も出るが、市境なら、県庁所在地を岐阜市にしたまま隣接市町にも県庁エリアの開発効果を波及できる、という視点での評価だ。

 いずれにしても、こうした歴史を経て今がある現庁舎。その東隣では、来年秋の完成を目指して地上21階建ての次世代型の新庁舎建設が進む。ここを拠点に県政を引っ張っていくリーダーは誰か-。24日投開票の知事選で決まる。

カテゴリ: 政治・行政 知事選 社会