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明智光秀の生存説残る山県市、ファンが「墓参」 大河「麒麟がくる」終了



明智光秀の墓と伝わる「桔梗塚」。大河ドラマ最終回翌日の8日は、お礼参りに訪れるファンもいた=山県市中洞、中洞白山神社
明智光秀の墓と伝わる「桔梗塚」。大河ドラマ最終回翌日の8日は、お礼参りに訪れるファンもいた=山県市中洞、中洞白山神社

 岐阜県ゆかりの戦国武将・明智光秀を主人公にしたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、予想外の"生存説"を匂わせて、その物語を閉じた。生存説といえば、県内では山県市に「光秀は関ケ原合戦まで生きていた」という伝説が残る。光秀の墓とされる地元の「桔梗(ききょう)塚」には8日、コロナ禍で光秀に勇気づけられたと、お礼参りに訪れるファンの姿が見られた。

 光秀が、主君の織田信長を討つ「本能寺の変」が描かれた7日の最終回。通説では山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、命を落としたとされる光秀だが、最後の場面で美濃の頃から親交があった医師・望月東庵の助手・駒が意外なことを言う。「十兵衛(光秀)さまが生きておいでになるという、うわさがある」と。駒は、場所を「丹波の山奥」と言ったが、山県市にも生存説がある。

 地元の人たちの話によると、伝説に基づけば、光秀は現在の同市中洞地区の生まれ。山崎の戦いで命を落としたのは実は影武者で、光秀は郷里の中洞に落ち延びていた。そして、影武者として身代わりになった家臣の荒木行信の忠誠に深く感銘し、荒木の「荒」と、深くの「深」を取って「荒深小五郎(あらふかこごろう)」と名乗り、中洞で暮らしたという。

 その後、秀吉に関する情報を集めては徳川家康に流していたが、家康からの要請で1600年、関ケ原合戦に出陣。しかし、戦場に向かう途中、増水した川で馬と共に流されて死去。その遺体を埋葬したのが今に伝わる桔梗塚で、子孫とされる地元の荒深姓の人たちが、毎年4月と12月に供養祭を行い、光秀の功績をたたえている。伝説は、最近になって"作られた"ものではなく、尾張藩士が残した1700年頃の記録にも見られるという。

 「麒麟がくる」の放送が始まってから、多い日は数百人が訪れたという桔梗塚。8日、介護職員の男性(54)=関市明生町=は、桔梗塚に菊の花と酒、ぼたもちを供え、手を合わせた。伝えたのは感謝の言葉だった。

 毎週、BSと地上波と土曜日の再放送の計3回視聴してきた大ファン。特別養護老人ホームに勤め、コロナ禍の中、高齢者の命を守るため、神経をとがらせながら懸命に働いてきた。そうした毎日の支えになったのが、平和を求めて奮闘する光秀の姿だった。

 「コロナ禍だから、いつか麒麟が現れ、平和な世の中になるという言葉が余計に心に響いた。励みになった」と男性。光秀の"墓前"で手を合わせ、心の中で「いつか新型コロナも終息させる。僕らも頑張るので、見守っていてください」と誓ったという。

カテゴリ: くらし・文化 エンタメ