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杉原千畝氏の足跡、3年かけ年表作成 八百津町民有志、縁者たどり史料収集



 岐阜県加茂郡八百津町の住民有志でつくる研究会が、第2次世界大戦中に「命のビザ」で多くのユダヤ人を救った外交官、杉原千畝(ちうね)氏(1900-1986年)の足跡を年表など19枚のパネルにまとめた。町内外の血縁をたどり、杉原氏と八百津とのつながりに迫った3年越しの労作。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」申請では出生地問題が町を揺るがしたが、親戚らの元に残る手紙や史料を踏まえ、「ふるさとは八百津」と結論付けた。

 年表を作ったのは、元教員や郷土史家、主婦らでつくる「身近な杉原千畝を研究する会『千畝を知ろう』」。地元との関わりから杉原氏の足跡を探ろうと2018年から調査を始めた。家系図を頼りに両親の出身地の八百津町北山地区をはじめ町内7人を含む岐阜、愛知県内の親戚や縁故者ら21人から証言を集め、写真、手紙の提供を受けた。

 杉原氏は税務官吏だった父親の転勤で住居を転々とし、少なくとも学齢期以降は八百津を離れているが、「(子ども時代の)杉原一家は8月には毎年1カ月も滞在した」(母やつの実家)、「満州(中国東北部)から一時帰省した際に生活した家があった」(遠縁の町民)、「役場前の雑貨店辺りで子どもを連れていた」(別の遠縁の町民)と節目ごとに里帰りを繰り返した様子がうかがえたという。

 パネルでは、晩年の勤め先のモスクワから弟に出された「八百津の山山がトテモ懐しくなった」という望郷の念がつづられた手紙のほか、町内の料理旅館「いこい」で開かれた1978年の帰国祝いの宴、丸山ダムを訪れ親戚と収まる写真なども紹介。八百津ゆかりの人たちと生涯続いた交流を伝えている。

 杉原氏と八百津町の関わりを巡っては、「生誕地」とした八百津町の「世界の記憶」の申請に遺族らから異議が出され、17年の不登録につながったとみられている。パネルには、争点の一つだった戸籍の記述「武儀郡上有知町(現在の美濃市)で出生」も盛り込み、通説とされる八百津への里帰り出産については「今回の調査では確証は得られなかった」と記した。

 一方で、32年5月の新聞社訪問時の杉原氏の記事に「岐阜県八百津の生れ」と記載され、「何十年ぶりかに郷里へ立ちよった」と談話を寄せていたことを明らかにし、手紙などの記述などと合わせて、「千畝さん自身、『八百津がふるさと』と思っていたと確信している」との見解をまとめた。

 パネルの制作費は町が負担。命日(7月31日)にちなんだ杉原ウイーク関連事業として、7月30日から8月3日まで町防災センターでお披露目され、その後は学校や行事で展示される。

 「千畝を知ろう」の和田義昭代表(78)=同町=は「調査を通し、千畝さんが八百津の人たちに迎え入れられ、千畝さんも八百津を愛していた心のつながりを感じた。手紙などに人間味があり、そうした思いがあるからこそ『命のビザ』の発給ができたのではないか」と話した。

カテゴリ: くらし・文化 動画