岐阜新聞Web

  • 美濃
  • 飛騨
  • 美濃
  • 飛騨


建設会社に「ウルトラマンA」なぜそこに? 「平和守るヒーロー」元少年兵の願い 



元少年兵の創業者が置いたウルトラマンA。その遺志を受け継いで拳を掲げる川瀬嘉洋社長=羽島市小熊町、川瀬組
元少年兵の創業者が置いたウルトラマンA。その遺志を受け継いで拳を掲げる川瀬嘉洋社長=羽島市小熊町、川瀬組

 岐阜県羽島市小熊町の県道沿いで目を引くウルトラマンA(エース)のフィギュア。建設会社「川瀬組」の門に置かれ、雨にも夏の暑さにも負けず、拳を掲げて立っている。なぜ、ここに? 実はこの"羽島のヒーロー"、戦地に赴いた同社の創業者が次世代に託した平和のシンボルだった。

 ウルトラマンAは、特撮ヒーロー「ウルトラマンシリーズ」初期の一人で、1972~73年にテレビ放送された。地球の平和を守る正義の味方だ。羽島のウルトラマンAは大人の背丈より少し高い、全長約2メートル。同社の川瀬嘉洋社長(66)によると、父の故・好雄さんが置いたという。

◆羽島市の建設会社「川瀬組」 息子の社長ら遺志受け継ぐ

 同社は62年に好雄さんが創業。主に堤防や道路といった地域の公共工事を担う建設会社だが、好雄さんは太平洋戦争の戦地から帰還した元少年兵という経歴を持っていた。

 この地の農家だった川瀬家の長男として生まれた好雄さん。16歳の時に終戦を迎えているが、戦時中は旧海軍の「特別年少兵」に志願し、通信兵としてフィリピンに赴いた。激しい戦闘が繰り広げられたマニラの市街戦も経験。多くの仲間が戦死し、自らも死線をさまよったと川瀬社長は聞いていた。

 戦後、多くを語ることはなかったが、川瀬社長は好雄さんがある時「捕虜」という言葉を口にしたことを印象深く覚えている。「あぁ、おやじは米軍に捕らえられたんで、生きて帰れたんやな。玉砕やったら、死んでまった。運が良かったんやな」と思ったという。

 再び古里の地を踏むことができた好雄さんは事業を興し、晩年は平和を満喫するかのように茶道などの日本文化をたしなみ、地域活動にも貢献した。川瀬社長は「この地域では有名で、粋人やった。地元の公民館長も長くやっていた」と振り返る。

 そんな好雄さんが、ウルトラマンAを持ち帰ってきたのが、今から30年ほど前のこと。元々どこかの店舗にあったものが地元の保育園に移り、古くなって処分されるところを譲り受けてきたのだという。好雄さんはペンキを塗り直して手入れし、職場の安全衛生のシンボルとして会社の門に置いた。

 川瀬社長は父の思いをこう、くみ取る。職場の安全が保たれてこそ社員が安心して働ける。大きく見れば国の平和が保たれてこそ安心して働け、安心して暮らせる。全ての安心の土台には平和が不可欠-。平和を守るヒーローにそう願いを込めたのだ、と。

 「だから今も毎日の朝礼でやっとるよ。『きょうも無災害で頑張ろう』って、ウルトラマンAをまねてな」と笑顔で拳を掲げてみせる川瀬社長。2014年に好雄さんが亡くなった後も、その遺志は次世代に受け継がれている。

◆記者のひとこと

 戦争と平和の話になるとは思ってもみなかった。あと24年で終戦から100年になる。戦争体験談を直接聞くことは年々難しくなっているが、当時を生きた人たちが遺していったものは数多い。それらに光を当て、記憶と結び付ける-。それは戦争体験者と一瞬ながらも時代を共有できた、私たち次世代の使命なのかもしれない。

カテゴリ: くらし・文化 エンタメ 写真ニュース