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昭和レトロ「水玉煎茶わん」大半は美濃焼 丈夫でシンプル、ペットボトル普及で姿消す



  • 昭和レトロな水玉模様の煎茶わん。金属製の急須と並べて置くだけで、ノスタルジーに浸れる 
  • 2019年まで水玉の煎茶わんを作っていた渡邉孝弘さん=土岐市泉町定林寺、泉陶磁器工業協同組合 

 白地に藍色の帯、横一列に白い水玉模様が並ぶ。昭和生まれの人なら一目見て「ああ、あれか」と声を上げるかもしれない。最近は目にすることがなくなった気がする"あの"懐かしの煎茶わん。実は、国内有数の陶磁器産地である岐阜県内の美濃焼の産地でも生産され、昭和の暮らしを支えていた。今も作られているのだろうか。産地を訪ねると、なぜ最近は見掛けなくなったのか理由が分かった。

 公民館や集会所、食堂や民宿などで見掛けた水玉の煎茶わん。フリーマーケットアプリでは「昭和レトロ」と銘打ち、食器棚の奥で眠っていたような来客用の一式をまとめて出品している人も多い。その中古品の中に、多治見市の陶商から買ったと思われる一品を発見。さっそく入手し、これを手掛かりにメーカーを探すことにした。

 その陶商と同名の会社が多治見にあるが、確認すると別会社だという。廃業してしまったのだろうか。ほかの陶商に聞くと、水玉の煎茶わんは数年前まで美濃焼の商品カタログに載っていたらしい。陶磁器メーカーでつくる県陶磁器工業協同組合連合会(同市)で、理事長の松原朝男・丸朝製陶所会長(71)が昭和の頃の話を教えてくれた。

 美濃焼は、今でも食器類の国内シェア5割以上を占める。最盛期は昭和30~50年代といい、機械化による大量生産で安く提供できるようになると、7割強まで国内シェアが拡大。今は330社弱まで減ったが、当時は1300社を超える陶磁器メーカーがひしめいていたという。そうした時代に作られたのが、この水玉の煎茶わんだった。デザインはおおよそ似たり寄ったり。おそらく全国で目にした大半が美濃焼だったのだろう。

 松原さんは「肉厚で割れにくく、水玉もポピュラーなデザインで使い勝手がいい。昔は方々の会社が作っていた。大ヒット商品ですよ。まだ2社ぐらい作っているのでは」と話す。

 煎茶わんは土岐市の土岐津、泉、下石の陶磁器工業協同組合が詳しいというので電話すると、泉の組合事務所で「うちの会社で作っていましたよ」と、職員の渡邉孝弘さん(60)=土岐市泉町定林寺=。一昨年まで「丸律製陶」というメーカーを営み、水玉の煎茶わんも作っていたが、会社を畳んで組合職員として働いているという。

 フリマアプリで入手したものを持って組合を訪れると「それ、僕が作ったやつですよ」と驚きの一言。長年、大量に作ってきたので色合いや水玉のバランスに見覚えがあるようだ。創業は昭和30年代。水玉の煎茶わんは、最盛期には年間約15万個を出荷していたという。2代目の渡邉さんが手伝い始めたのは昭和の終わり頃だが、最盛期を過ぎても「かなり出ていた」と振り返る。

 興味深い話を聞いた。4年に1度の統一地方選など選挙シーズンになると、陶商を通して全国からどっと注文が入った。選挙事務所向けだ。「選挙が近づくと一気に作った。統一選の時は数万個規模。選挙後にどう扱っているのか分からないが、新人候補だけでなく現職陣営からも毎回注文があった」と渡邉さん。選挙事務所に集まった支持者らが茶などを飲む時に使ったらしい。

 「美濃焼で、うちが最後かどうか断定できない」と渡邉さん。結局、現役で作っているメーカーにたどり着けなかったが、なぜ水玉の煎茶わんは見掛けなくなったのだろう。渡邉さんは「ペットボトルが普及してから売れなくなった」。同じデザイン、同じ形のものが安く一度にそろい、洗って何度も使えたが、使い捨てのペットボトルと置き換わる形で姿を消したという。それでも渡邉さんは「これがあったから会社が長く続いたと思う。シンプルながらも手の込んだ一品。愛着のある煎茶わんでした」と感謝をにじませた。