福沢桃介ゆかりの「対鶴橋」 来月から解体 − 岐阜新聞 Web
福沢桃介ゆかりの「対鶴橋」 来月から解体
2017年11月23日09:28
写真:福沢桃介ゆかりの「対鶴橋」 来月から解体
橋の上で青春時代の思い出を語り合った坂下中学校の同窓生

◆青春のつり橋 住民集い語り合う

 岐阜県中津川市の木曽川に架かる対鶴橋(たいかくばし)の解体工事が12月から始まる。同川の水力発電開発などの功績から「日本の電力王」と呼ばれた福沢桃介(1868〜1938年)が、同川で最初に手掛けた賤母(しずも)発電所(同市山口)の建設工事用橋として築いたことに始まる歴史のある橋で、地元住民らが思い出の詰まったつり橋の姿を写真に収めるなどして名残を惜しんでいる。

 桃介は大正期に、同川の恵那峡の渓谷美を生み出した大井ダムの大井発電所など、長野県から岐阜県にかけて7カ所の水力発電所を建設した。中でも賤母発電所は、近代化に向けた桃介の電源開発構想の第一歩となる発電所で、建設資材を運ぶため、同橋も1917年の同発電所の着工と時を同じくして築かれた。

 景観にも気を配った桃介は、発電所建物のモダンな建築美に加え、周囲に公園を整備。桜やモミジを植え、時季になると、同橋を渡って花見やモミジ狩りに訪れる人が絶えなかった。

 同川の電源開発の歴史に詳しい関西電力木曽電力所の三浦紀秋さん(48)は「橋の設計は“ダムの鬼”と呼ばれた石川榮次郎が手掛けた。桃介は、各所の橋に開発協力者にちなんだ名前を付けた。対鶴橋は、木曽川流域の森林鉄道の敷設に協力した南部光臣にちなんだ。塔の揮毫(きごう)も南部の書。南部は当時、国の官僚で、南部家の家紋が鶴の向かい合う形だった」と話す。

写真:福沢桃介ゆかりの「対鶴橋」 来月から解体
現在は解体工事の立て看板が掲げられ、通行止めになっている=いずれも中津川市坂下、山口地区境の対鶴橋

 来年の桃介生誕150年を待たずして同橋は解体に入る。11月から通行止めになった。

 老朽化に伴う2005年の大規模修繕で、関電が市に無償譲渡を提案。市は近隣地区の利用状況を調べたが、利用者はゼロ。地元との合意を経て解体が決まった。

 解体まで1年を切った今春、地元では、やさか観光協会と坂下まちづくり協議会が呼び掛け、同橋周辺での花見会を開催。家族連れら約50人が参加し、橋を背景に記念写真を撮った。

 夏には、帰省に合わせて坂下中学校の同窓生が同橋までの遠足会を開き、青春時代の思い出を語り合った。高校生の頃、恋心を寄せる女性に橋の上で告白したという今井正幸さん(55)=同市坂下=は「好きな人がいるからとふられた。今でも対鶴橋を見ると、甘酸っぱい思い出が頭をよぎる」と照れくさそうに振り返った。

 同橋は、来年3月末までに橋脚を含めて全て撤去される。住民らは、主塔の揮毫部分を保存できないか関電に要望している。

【対鶴橋】中津川市の坂下地区と山口地区(旧長野県山口村)の境界を流れる木曽川に架かる歩行者用つり橋。大正期に完成した。全長約111メートル。鉄筋コンクリート製の主塔2本があり、ワイヤで木製の橋桁を支える構造。主塔上部に「對鶴橋」の揮毫が右から左に彫り込まれている。福沢桃介が経営に関わった名古屋電燈(大同電力)の流れをくむ関西電力が、賤母発電所とともに所有・管理する。