オグリの里
騎手が1周勘違い、笠松では大荒れ(1981年)(上)

2018年11月30日 17:10

大勢のファンが笠松競馬場のスタンドを埋め尽くし、年末の大一番として例年盛り上がる東海ゴールドカップ(1994年)

 今年のJRAで「お騒がせレース」の第1位に挙げられるのは、10月13日に新潟競馬場で起きた「騎手の1周勘違い」だろう。1周半する2500メートル戦で、ペイシャエリートに騎乗した山田敬士騎手が、競走距離を間違えて1周目でスパート。先頭でゴール板を過ぎると、「勝った」と思い込んで手綱を緩めて減速させ、12頭立ての最下位に敗れた。JRA史上初めてのアクシデントだという。2番人気の馬で、馬券を買っていたファンは多かっただろうが、まだ中盤の第6レースで、騎乗技術が未熟な21歳の新人騎手だったこともあり、大きな騒ぎにはならなかったようだ。

騎手の1周勘違いに、一部のファンが騒ぎだし、機動隊や羽島署員も出動して警戒に当たった(1981年)

 古い話になるが、騎手による1周勘違いは、年の瀬を飾る笠松競馬場の大一番「東海ゴールドカップ」で発生しており、翌日の朝刊紙の社会面トップ記事となる大きな事件に発展したことがあった。名古屋の井手上慎一騎手が騎乗し、1番人気となったダイサンフジタカ(牡6歳)が、あと1周を残して減速して、馬券圏内からぶっ飛んだことで、場内は騒然となった。一部のファンが「八百長だ、金を返せ」などと怒って深夜まで騒いで、窓ガラスを割ったり、投石や放火。このため、岐阜県警機動隊や羽島署員が出動して警戒に当たったが、けが人や逮捕者が出るなど、場内は大荒れとなった。

 笠松競馬のオールドファンなら覚えているだろうが、何しろ37年前の出来事。当時はまだ競馬初心者だったが、たまたま現場にいて、このレースを観戦していた。日本の競馬史を揺るがすハプニングとなったが、ほとんど記録に残っておらず、知らない競馬ファンも多いことだろう。ワンダーランド・笠松競馬場での激震ぶりを振り返った。

 1981年12月30日、年末の名物レースで10回目を迎えた東海ゴールドカップ。当時の東海公営では、中央競馬の有馬記念のような一戦で、ファンにとっても1年間の総決算、年越しへの運試しのようなドリームレース。1着賞金は1300万円だった(減額が続き、昨年は250万円)。

 JRAのケースと同じ2500メートル戦だったが、笠松は右回り。本命馬とみられていた、名古屋のヒカリデュール(翌年の有馬記念優勝馬)が右脚のけがで出走を取り消したことから、異変が始まった。長年、競馬ファンの一人として笠松競馬場に足を運んできたが、地方・中央を通じて、こんな不思議なレースはその後もなかった。いろいろな偶然が重なったミステリー仕立てのレースで、個人的には「ビギナーズラック」のようなことも体験できた。笠松競馬のキャッチフレーズだった「走るドラマ」の魔力?に、大きくはまるきっかけになったレースだ。

かつては3万人近くが訪れた笠松競馬場の正門前。近年の来場者は平日800人前後、年末は3000人余り

 この日は、職場のゴルフ大会で揖斐川町の大垣カントリー倶楽部でプレーをしていた。笠松競馬場に行く予定は全くなかったのだが、夕方から仕事がある先輩に馬券購入を頼まれたのだ。慌てて車で笠松に向かったが、迎春準備の市街地は大渋滞。メインの第9レース発走時間は10分以上過ぎており、「もう間に合わない」と思ったが、とにかく競馬場内に飛び込んだ。

 すると、第9レースの発売窓口がまだ開いており、
大勢のファンが並んでいるではないか。この日の入場者は、何と2万8000人を超えており、オグリキャップの引退式(91年1月)並みの人出でごった返していた。インターネットや電話での投票などなく、競馬場に来るしか馬券が買えない時代。メイン前のレースから発走時間は遅れていたのだろう。締め切り前の音楽が鳴り終わっても、発売窓口に並んでいるファンがいるうちは、「売れるだけ、売っちゃえ」というような、地方競馬ならではののどかな時代だった。

 当日の岐阜日日新聞の出走表と予想は次の通り。

  ⑨R 特別サラ系オープン 第10回東海ゴールド カップ(2500メートル)  
    馬名        騎手
 1 ①リュウアラナス  (仙道光男)
 2 ②シナノセイダイ  (坂本敏美)
 3△③ヒミノチカラ   (川原正一)
 4○④ダイサンフジタカ(井手上慎一)
 5×⑤リードシャダイ  (松原義夫)
 6 ⑥ホウゾウキット  (町野良隆)
 7 ⑦マッハレンジャー (安藤光彰)
 8◎⑧ヒカリデュール  (田中敏和)
   ⑨サンローレオー  (安藤勝己)
    ※ヒカリデュールは出走を取り消し
 
 無印の馬でも、笠松のリュウアラナスは79年の地方招待競走(中京競馬場)を地方馬として初制覇。名古屋のシナノセイダイには、天才ジョッキーと呼ばれた坂本敏美騎手。地元の安藤兄弟の騎乗もあり、興味深いメンバーだ。単勝1番人気に押し出されたダイサンフジタカ絡みの枠番連勝が売れ、1―4が1番人気で、4―5が2番人気となった。

ファンで埋まったスタンド前では、ゴールを目指して熱戦が繰り広げられられた(1980年)

 発売窓口前は、人の頭しか見えないような大混雑だった。頼まれた馬券のほかに、ゴルフ場で慌てて見た新聞の予想欄の印通りに、本命◎ヒカリデュールから3頭に2000円ずつ流し買い。マークカードや券売機もなく、買い目と金額を手書きしていた時代で、窓口のおばちゃんに手渡して、何とか購入できた。表示されていた8枠8番のヒカリデュールの取り消しには、レース終了まで全く気付かなかった。8枠にはもう1頭、無印の穴馬がいて、幸運をもたらしてくれた。

 2500メートル戦は笠松でも珍しく、今ではオグリキャップ記念のみ。1周1100メートルのコースを2周余り走る長距離戦で、スタート地点は1400メートル戦と同じ第4コーナー奥。1番人気ダイサンフジタカは先頭に躍り出たが、2周目のゴール板を過ぎて、異変が起きた。騎乗していた井手上騎手が競走距離を1周勘違い。「勝った」と思ったのか、手綱を緩めてスピードダウン。後続馬に抜かれた後、レースに戻って最後まで走ったが、やはり一度減速した競走馬に余力は残っておらず、5着に敗れてしまった。井手上騎手は当時24歳で若手の成長株だったが、この日の騎乗ミスは明らか。2500メートルには1周少なく、ゴール地点が同じだった1400メートル戦と間違えたようだ。

1982年当時の笠松競馬場と周辺の様子。コースは1周1100メートルで、右回りのダート。ゴールまでの直線は201メートルで、3コーナーへの下り坂が勝負どころ

笠松競馬場のコース全体図(「競馬ガイドブック2018」・笠松競馬提供)

 勝ったのは、笠松で4年連続リーディングとなった安藤勝己騎手の騎乗馬で、8枠9番の伏兵サンローレオー(牡5歳、吉田秋好厩舎)だった。2着は川原正一騎手騎乗の3枠ヒミノチカラ。その後の笠松競馬を背負っていく名手でのワンツー決着となった。坂本騎手が乗ったシナノセイダイ(牡3歳)が3着。

 馬券は単勝、複勝、枠番連勝しかなかった時代。大多数のファンが枠番連勝を買っており、的中馬券は「3―8」の4970円で、波乱の結果となった。8枠の代用の馬が来てくれたおかげで、個人的には当たり馬券を握り締めることができたが、ヒカリデュールの取り消しを知らずに買ったもの。配当はもっと安いと思っていただけに、電光掲示板に表示された「4970」という数字が信じられず、1桁多いのではないかと何度も見直した。「何かの間違いでは、払い戻しはいくらになるのか」。競馬を始めたばかりで、あの時のドキドキ感は忘れられない。

 観戦していたのは第4コーナー寄りの西スタンドで、ゴール付近の様子ははっきり見えなかったが、場内は異様なざわつき。スピードを落とした本命馬が着外となったためで、馬券を買っていたファンが騒ぎだしたのだ。「うその3―8だ。締め切り5分前まで、3―8は万馬券だったのに、オッズが急に下がったのはおかしい。締め切り間際に誰かが大量に購入したのでは」などと納得がいかない様子。200人以上のファンが管理事務所を取り囲み、レースの説明を求め、一触即発の緊迫した事態となった。


(次回に続く)