オグリの里
地方馬の中央初Vは、笠松の馬だった

2019年04月12日 18:02

地方馬として中央のレースを始めて勝った笠松のリュウアラナス

 地方競馬のオールドファンなら覚えている人もいるだろう。昭和の時代、笠松から日本競馬界の歴史を塗り替えた「伝説の名馬」がいた。リュウアラナスとダイタクチカラの2頭で、「中央突破」とオグリキャップ誕生に大きな役割を果たした。語り継ぐべき当時の活躍ぶりを振り返ってみた。

 「すごかったなあ。中央のレースで、笠松の馬が勝っちゃったよー」。職場に駆け込んできた先輩の声が響き渡り、競馬好きたちが大騒ぎしていた様子を何となく覚えている。「笠松の2頭が抜け出して1着、2着だったよ。中央の馬は付いてこれなかった」などと語っていた。オグリキャップやライデンリーダーが中央に挑戦する前、「笠松から日本一」への夢の扉をこじ開けた先駆者がいたのだ。

 1970年代の終わり、中京競馬場での「地方競馬招待競走」で刻まれた歴史的な1勝。中央競馬のレースで初めて勝った地方所属馬は、笠松のリュウアラナスという4歳牡馬だった。馬体を軽やかに躍らせて、地方と中央との間に立ちはだかっていた「高いバー」を、初めてクリアしたのだ。

地方競馬招待競走で中央馬を倒して優勝したリュウアラナス。笠松の名は全国にとどろいた

 リュウアラナスは、日本ダービーなどで上位に入った中央のエリート馬たちを圧倒し、「笠松」の名を全国にとどろかせた。小柄ながらも大レースに勝負強く、東海ゴールドカップ(78年)と東海大賞典(79年)のビッグタイトルも獲得した。この頃は、中央の鳴尾記念で3着と好走したブレーブボーイが笠松に戻ってきて、東海ゴールドカップ(79年)を制覇。笠松競馬場には3万人以上が来場し、馬券販売は10億円を超えていた古き良き時代のことだった。

 地方所属馬が中央のレースに初めて参戦したのは73年で、東京競馬場で「地方競馬招待競走」(オープン特別クラス)が創設された。地方の競馬場で行われる「中央競馬招待競走」と、隔年で交互に開催された。そして79年10月7日、「第4回地方競馬招待競走」が中京の芝1800メートルで開催され、笠松所属馬による歴史的快挙が達成された。

 しかも、リュウアラナス(大橋憲厩舎)とダイタクチカラ(倉間厩舎)の2頭でマッチレースを演じ、笠松勢が1、2着を独占したというから驚きだ。

 11頭立てで中央勢は6頭。バンブトンコートは3歳王者(重賞3連勝)で日本ダービー4着(サクラショウリ優勝)。ロングファストは日本ダービーと菊花賞で2着、アイノクレスピンはオークス2着と強敵ぞろいだった。

 バンブトンコートは「単枠指定」で断トツの人気を集めたが、最後の直線で伸び切れず3着に終わった。ダイタクチカラは5カ月前に中京・ダートの東海桜花賞を快勝していたが、伏兵リュウアラナスは9番人気、単勝71.8倍で大波乱を呼んだ。

リュウアラナスには屈したが、2着に健闘したダイタクチカラ。東海公営での活躍は、稲葉牧場でのオグリキャップ誕生につながった

 レースは不良馬場で行われた。大井での中央招待競走(78年)でブレーブボーイを優勝に導いていた山田義男騎手がダイタクチカラに騎乗し、強引に先手を奪って逃げた。オーバーペース気味だったが4コーナーを回っても脚色は衰えず、地元・名古屋競馬のファンからも「山田頑張れ」と声援が飛んだという。

 リュウアラナスは中団の内らち沿いから進撃し、豪脚を発揮。残り200メートル過ぎでは、中央のバンブトンコートやロングファストを5馬身以上も引き離して、ダイタクチカラとの一騎打ち。リュウアラナスがクビ差で制して優勝をさらった。豪快な手綱さばきで追い込んだ笠松の町野良隆騎手(当時21歳)。「不良馬場のおかげ」だったそうだが、中央勢を寄せつけない鮮やかなレース運びで歓喜のゴールを決めた。
 
 「何と何と、まさか、バンブトンコートやロングファストを相手に、笠松の2頭がこれらをちぎってマッチレースを演じるとは。誰が思っただろうか」などと実況アナも伝えていたそうで、地方馬が中央馬を初めて倒した伝説の名勝負となった。

■第4回地方競馬招待競走成績(中京7R・芝、1800メートル)        
                  (騎手)
①リュウアラナス(笠松)    牡5 町野  1分52秒5
②ダイタクチカラ(笠松)    牡6 山田義 クビ
③バンブトンコート(中央)   牡5 伊藤清 5馬身
④ロングファスト(中央)    牡8 松田  3馬身
⑤クリーンファミリー(名古屋) 牡5 平   アタマ

 この後、地方馬の中央勝利は6年後。福島で行われた第7回地方競馬招待競走(85年)で、大井のテツノカチドキ(佐々木竹見騎手)が制した。86年からは中山でのオールカマーが地方招待競走となり、ジャパンCの地方代表馬決定戦も兼ねて行われた。この年、名古屋の名馬ジュサブローがオールカマーを制覇。地方所属馬による中央重賞Vの第1号となった。2着は中央のラウンドボウル。ジュサブローはジャパンCでも7着と健闘した。

 地方招待競走ではリュウアラナスに惜敗したダイタクチカラだったが、笠松競馬にとっては大きな財産を残してくれた。通算40戦して26勝。名古屋の重賞を5勝するなど東海公営での目覚ましい活躍があって、生まれ故郷・稲葉牧場(北海道・三石町)でのオグリキャップ誕生につながった。

オグリキャップが生まれ育った北海道の稲葉牧場。オグリローマンの子や孫が、繁殖牝馬としてオグリの血統を守り続けている

 笠松では鷲見昌勇厩舎に所属し、8戦4勝と活躍していたホワイトナルビー(オグリキャップの母)が77年7月、膝の故障で引退。ダイタクチカラを生産した稲葉牧場で繁殖牝馬となったのだ。

 この頃、ダイタクチカラは既に名古屋・スプリングC優勝、岐阜王冠賞2着と好成績を挙げていた。鷲見調教師は稲葉牧場を訪れた際、牧場主の息子だった稲葉裕治さんから「いい繁殖牝馬がいたら、預からせてくださいよ」と頼まれたそうだ。その後、鷲見調教師は「この馬でダイタクチカラの2代目を作ってくれ」と、芦毛のホワイトナルビーを繁殖牝馬として連れてきたのだった。

 3連勝のまま引退し、繁殖入りしたホワイトナルビーは、母馬としても優秀で計15頭を出産。全馬がレースに出走し勝利を挙げた。鷲見調教師は「1600メートルまでの強い馬を作ってくれ」と裕治さんに依頼。ゲート難があったダンシングキャップだったが、馬主・小栗孝一さんからゴーサインが出て、種付けが実現。85年、ホワイトナルビーの第6子としてオグリキャップが誕生した。91年には第12子・オグリローマン(父ブレイヴェストローマン)も生まれた。稲葉牧場から笠松、中央へとサクセスストリーの夢が広がり、2頭のGⅠ馬を送り出すことができた。
 
 稲葉牧場では、裕治さんが亡くなられた後も、夫の遺志を継ぐ妻の千恵さんや娘さんたちが、生産馬に愛情を注いでいる。桜花賞馬オグリローマンの子や孫たちが繁殖牝馬となって、オグリの血統を大切に守り続けている。クィーンロマンスの子・メイショウラケーテ(牡5歳)はJRAで4勝を挙げており、今年2月の河原町S(京都)でも3着と好走した。「オグリ」と名の付く競走馬は、中央ではオグリクロノス(牡3歳)が現役で、地方では2月に笠松で出走したオグリガール(退厩)が最後となっている。稲葉牧場から、オグリ一族の若駒の笠松デビューを待ちたい。