オグリの里
オグリキャップ、笠松競馬の守り神

2019年07月13日 09:20

リニューアルされたオグリキャップ像。笠松競馬場の守り神として、ファンを出迎えてくれる

 オグリキャップが天国に旅立って、10回目の夏を迎えた。笠松競馬場の正門横では、活躍をたたえる記念のブロンズ像がリニューアル。その雄姿は、来場するファンを優しく迎え、競馬場の守り神となって、存続を後押ししてくれている。昭和から平成、令和へと時を超えて、永遠のオグリコールとともに伝説となったその輝きを、地元でのお別れ会とともに改めて振り返ってみた。

 2010年7月、笠松競馬場で開かれたお別れ会には全国から多くのファンが詰め掛け、名馬の力走をしのんだ。小さな競馬場が生んだ芦毛の怪物は、中央の壁を突き破って駆け抜け、競馬ブームの立役者となった。日本競馬史上最高の人気馬であり、功績馬だった。
 
 引退からは既に29年。1頭の地方出身馬がなぜこれほどまでに愛され続けるのか。勝っても負けてもハナ差クビ差。GⅠ連戦など死闘に次ぐ死闘。素晴らしい勝負根性で「頑張って走る姿に勇気づけられたよ」と言うファンの声は多かった。
 

ラストランとなった1990年の有馬記念を制覇したオグリキャップ。武豊騎手を背にオグリコールが鳴り響いた(競馬ブック提供)

 1987年に笠松でデビュー。88年にJRAへ移籍し、国民的アイドルホースとして競馬ブームの起爆剤となった。若いファンの心もつかみ、オグリの縫いぐるみを抱えた女性ファンが声援を送る姿は一つの観戦ファッションにもなった。それまで「おやじのギャンブル」というイメージだった競馬に、おしゃれ感覚が加わり健全化。入場者、売り上げは飛躍的に伸び、90年のラストラン有馬記念には17万7700人が押し寄せた。
 
 地方から中央の厚い壁に風穴をあけたことでもオグリは先駆けだった。JRAではデビューから重賞6連勝を飾ったが、クラシックレース登録がなく「幻のダービー馬」と呼ばれた。同世代無敵で3冠制覇も夢ではなかった。
 
 オグリの無念に世論が後押しした。その後のルール改正でクラシック追加登録が可能になった。地方・中央の交流も盛んに行われ、地方在籍馬の中央GⅠ出走が可能になった。笠松育ちのライデンリーダー、オグリローマンら牝馬の中央挑戦、活躍へとつながった。
 
 人馬一体。オグリが切り開いた道は地方騎手の中央挑戦にも大きな力となった。笠松時代のオグリの主戦だった安藤勝己元騎手。JRA移籍はハードルが高く試験も難関だったが、能力の高い騎手への条件緩和で門戸は開かれた。オグリがいたから「JRAのアンカツ」が生まれたともいえる。
 

笠松競馬場で行われたオグリキャップ引退式。安藤勝己さんを背に場内を2周し、3万人近いファンが声援を送った=1991年

 オグリは笠松競馬など経営改善に取り組む地方競馬の希望のシンボルでもあった。競馬界は地方と中央の「一国二制度」の格差社会。現在、レース1着賞金は下級馬では笠松が20万円、中央は500万円と大差があるが、笠松の調教師らには昭和の時代から「中央の馬に負けない馬をつくるんだ」という気概があり、情熱を注がれたオグリは強い馬に育った。
 
 32戦22勝、ドラマチックに駆け抜けた。引退後は馬体が真っ白になったが、白馬は神に奉納されて神馬になるという。競馬場内のオグリキャップ像前では遠方からのファンも献花や記帳に訪れ、手を合わせた。
 
 毎年4月に開催される看板レース「オグリキャップ記念」。経営改善で賞金なども格下げとなったが、今後は地方・JRA交流のダートグレード競走として復活することが、交流の懸け橋となって駆け抜けたオグリへの供養になるだろう。JRAの強豪に対抗するためには、笠松の厩舎から強い競走馬が育つことが第一で、ファンたちは新世代のスターホース誕生を待ち焦がれている。
 
 オグリが亡くなってからも、笠松では競走馬の放馬事故やレース中のトラクター乱入など、いろいろとアクシデントがあった。最近はツイッターの内容や投稿された写真・映像などがネットですぐ拡散し、テレビニュースにもなって騒がれる時代。競馬ファン以外の人からも「笠松競馬でまた、何か起きたらしい」という興味の目で見られていることは残念だ。安全管理を第一に、時代の流れに即した「守備力」が必要になる。
 

JRA顕彰馬として、オグリキャップの肖像画やブロンズ像、有馬記念優勝時の蹄鉄などが展示されている=東京競馬場・JRA競馬博物館

 6月に訪れた東京競馬場。場内にあるJRA競馬博物館では、「競走馬の殿堂入り」に相当するJRA顕彰馬として、33頭の名馬たちの活躍がたたえられていた。オグリキャップもその一頭で、肖像画やブロンズ像、有馬記念(1988年)優勝時の蹄鉄、笠松時代からの全成績表などを展示。ハイセイコーやディープインパクトら多くの顕彰馬のうちでも、来場者の1番人気はやはりオグリキャップのようで、若者からオールドファンまで幅広い世代の人が「あっ、オグリだあ」と足を止めて、雄姿に見入っていた。安田記念では、3着に敗れたアーモンドアイだったが、ジャパンカップを世界レコードで制した3冠牝馬として、いつか顕彰馬の仲間入りを果たすことだろう。

 2010年、笠松競馬場で行われたオグリキャップの追悼行事では、献花台や記帳台が設置され、期間中、約2000人のファンが記帳に訪れ、「天国でもみんなの希望を乗せて走り続けて」などと、地元が生んだ名馬との別れを惜しんだ。お別れ会では、競馬実況の名調子で知られた杉本清さん、オグリキャップ初代馬主の小栗孝一さん、笠松時代の調教師・鷲見昌勇さん、デビュー戦に騎乗した青木達彦さんらが、それぞれの思い出を語った。

笠松競馬場で行われたオグリキャップのお別れ会。ファンらがオグリ像に花束を供えた=2010年

 杉本さんは、マイルチャンピオンシップ(1989年)でハナ差勝ちしたオグリの「わずかに内かー」の懐かしい実況を回顧。小栗さんは「笠松での目の覚めるような快進撃、中央での名勝負。これほど多くの人に愛された馬はいない。素晴らしい思い出をありがとう」と涙ながらにメッセージを読み上げた。場内の特設画面では、引退レースになった有馬記念(90年)の映像が流れると、スタンドのファンからオグリコールが響き渡った。
 
 まだ元気だった2005年には、笠松存続の最大のピンチに競馬場へ里帰りしてくれた。集客力を発揮してファンを呼び戻し「笠松競馬再興の救世主」とも呼ばれた。長年の風雪に耐えてきたオグリキャップ像は永遠のパワースポットだ。昨年末に、馬体のはげた部分などが塗り替えられてリニューアルされた。芦毛っぽさは影を潜めたが、若々しく、たくましくなった。6月の放馬事故では、レースが開催自粛になったが、けが人はいなくて最悪の事態を免れたのは、競馬場関係者が守り神であるオグリキャップ像を大切に管理してきたおかげかもしれない。

 全国の地方競馬がバタバタと廃止に追い込まれていた04年9月には「自立経営は困難。笠松競馬事業を速やかに廃止すべき」とする経営問題検討委員会の厳しい提言があった。そんな苦しい時代にも「オグリキャップを生んだ笠松の灯を消すな!」と存続に力を尽くしてきた全国のファンや地方競馬関係者たち。そのシンボルがオグリキャップ像で、競馬場を訪れる人に、存続をアピールすることができた。

 競馬ファンの人気は絶大で、世代を超えて語り継がれる伝説の名馬となったオグリキャップ。これからも「笠松競馬永続」の守り神として、天国から静かに目を光らせ続けることだろう。あの熱いオグリコールの永遠の響きとともに...。