第六十五回 「落語家」って何?(1)

2018年09月21日 16:33

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 上方落語家のある師匠から、「入場料をとって落語をしているアマチュア」に対して苦言を呈すブログの書き込みがありました。この手の議論は過去にいろいろとされましたが、抜本的な解決になっていないのが実情です。

 プロの落語家さんの立場からいえばもっともなことです。自分たちのように修行をせず、師匠に教わるわけでもなく聞きかじっただけの落語を金をとって披露するとは何事かとご立腹なさってもしかたのないことです。まして私はプロの方をお呼びして公演を打っているのですから全面的にプロの方のおっしゃることを支持しなければならないはずです。

 でも、師匠はそのことに付随してこんなこともおっしゃっていました。

 『素人さんが単に「落語家」と名乗るのは、師匠の下で修行をしたプロの"噺家(はなしか)"に対する冒とくとまでは言いませんが、失礼だと思います。「~家」とはその道の人に師事をし、修行をし、それを生業とする者しか名乗れないものと私は思っています』

 私はこれに関しては違うと思います。「~家」というのは、それを行っている人に対する呼称に過ぎません。登山をしている人は「登山家」、踊り・舞台関係に携わっていれば「舞踏家」「演出家」、あるジャンルを詳しく語れる人は「評論家」など、これらはプロもアマチュアも呼称は同じです。全てが修行をして、そののちになるものではありません。

 その意味で、「落語家」という表現にはアマチュアもプロもないと思っています。さらに言えば「愛妻家」「愛煙家」「自信家」「好事家」など、~家という表現はかなり広い意味で使われています。

 まして一般の人に落語を聞かせるのにプロなのかアマなのか明確な線引きは、まずできないのが現実です。その落語家さんは、「修行もしていないのにお金をとるなど言語道断」とおっしゃっていましたが、「修行をして、認められたからお金をとっていい」という発想は、実は一般的ではないと思うのです。ネットで販売されているものでも、プロの作ったものではないものなどそこらじゅうにあふれています。特に雑貨類などは、普通の主婦が余暇に作ったポーチやガマ口、巾着やペン、キーホルダーなどがその人の好きな値段設定で販売されています。ですがこれに対して文句を言う人はいません。

 スポーツでもそうです。学業の一環として行われているはずの高校野球も大学野球も、球場で行う場合は入場料を取ります。美術展も、その画家がプロなのかアマなのかの判別は非常にあいまいながら、絵の値段を決めるのは描いた本人、それが売れるか売れないか、それだけの価値があるかを判断するのはお客さまなのです。

 私は、そのジャンルが栄えるかどうかはすそ野がいかに広いかの一点に尽きると思っています。日本で野球がメジャーなのは、子どもがスポーツを選択する時に将来職業として成り立ちそうだからであり、大金を手にできる可能性が一番高い競技だからです。サッカー、テニス、ゴルフあたりもそうですが、反対に陸上競技は選手生命が短い割に生活の基盤は安定していない、だから子どもたちが選ばないのでしょう。

 落語は、その意味でいえばプロの映像や音源を模倣することによって比較的短時間で人前で披露することができるので、プロの方が嘆くような勘違いのアマチュアさんが増えてくるのだと思います。実際、各大学の落語研究会は地域の敬老会やイベントに招かれ、落語を披露することによってなにがしかの対価を受け取り会の運営費に充てていますが、そうすることによって大学側からの補助が少なくても、またはなくても、部を運営していくことができている、そこで腕を磨いて将来はプロを目指そうという学生が増える、これは間違いなく落語というジャンルにとってはいいことです。

 一方、アマチュア、つまり社会人の方々の活動のほうはどうなのか。苦言を呈した落語家さんがいちばん眉をひそめているのがこの部分でしょう。

 こちらについては私自身もその端くれですので、その立場からお話ができます。次回はそれについてお話したいと思います。

 <つづく>

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たい亭あたり

 岐阜では珍しい落語・演芸専門オフィスを主宰。同時に岐阜市の小学校の落語クラブの外部講師を務め、夏には学生落語の大会も主催するなど幅広く活動中。夫人は武芸川で小さな喫茶店を経営。