第六十七回 「落語家」って何?(3)

2018年10月31日 17:37

  • 落語を披露する学生
  • 学園祭での寄席

 今回は、前回読者の方にお約束した「対価」について、お話をさせていただきます。つまり修行をしていない、プロの世界の師弟制度を経験したことのないアマチュアの落語家がどこかで一席披露する時に、そのお礼としていくらかが適当かという問題です。

 プロの方は、ことさらこの部分について嫌悪されるような傾向がありますが、前に述べたように主婦の手作りの品物でもそれにお客さんが興味を示せば売買が成立するのと同じように、アマチュアが謝礼を受け取ってもそれは問題ないとするのが私の考えです。プロの方をお呼びして会を開くことを生業としているのに、それを認めるなんておかしいじゃないかと思われる方もいるでしょうが、そこには大事な大事な条件がつきます。

 それは、「金額提示を行わないこと」です。

 どうしても一般の人の側から見た時にプロとアマの境界線があいまいになりがちなのが落語というジャンルで、○○亭△△ とか××家■■とかの亭号だけではプロなのかアマチュアなのかわかりません。敬老会とか、介護施設とかは近所の人の評判を聞いたとか、すぐ近くに住んでいるらしいとか、簡単な情報だけでオファーを出してくることがほとんどです。予算付けを完全にしているわけではないので、必ず先方は「それで... お礼はどのぐらいご用意すればよろしいでしょうか」と聞いてきます。

 この時の対応は確かに難しいですが、私は「そちらのご予算内で結構です」と答えるようにしています。なぜならば、自分の落語の価値を明確に把握しているアマチュアなんていないからです。

 私の知り合いにも、落語をアマチュアでやっている人は何人もいます。プロ顔負けの腕を持つ人から、箸にも棒にもかからない人までさまざまですが、どんなにうまくともいくら以上ならやる、いくら以下ならやらないと答えるのは私は違うと考えています。

 中にはご自分のCDを作っていて出演料が安いならば会場内でそのCDを売らせてほしいと頼んだ例も聞いています。私は今回の例では、この方の了見が一番プロに対して失礼なのではないかと思うのです。

 ご自分のCDを自費で作ることはそれは個人の自由で人がとやかく言うことではないけれど、出演料の代わりにそれの販売をさせろということは、呼んでくださった方に購入を強要しているのと同じことです。趣味が高じ過ぎたアマチュアの方が歯止めが利かなくなった例で、こういうところでこそ節度を保ってほしいです。

 ハンドメイド雑貨に値段をつけてフリーマーケットで売るのならば、その値段を聞いて出すか出さないか選択することができますが、落語の場合は他の品物と比較できるものではありません。きちんとした値段を提示することで、その値段に対する責任が生まれる、その責任を重く背負って、その催しを良いものにさせる技量がプロには求められるのですからその対価を自分で設定し、提示するのは当然。それこそがプロがプロである証しだとすれば、それと同じことをアマチュアはするべきではない。たとえ提示された金額が交通費の足しにもならないほど安かったとしても、それは先方の予算である以上仕方がないことで、それがいやだったら最初から請け負わなければいい、それがアマチュアのあるべき姿だと、私はそう思っています。

 では反対に、すごく高い予算だったらどうでしょう。何度もそんな場面に遭遇しました。

 その時は、「私が前座をやります。メインはプロの方を紹介します」と言いました。また、もう少し安い場合は「私のほかにもう一人呼んで、二人でやります」と言ったこともあります。それだけ予算があるならもらっちゃえばいい、じゃないんです。10万円の予算があっても20万円の予算があっても、それに見合うだけの落語は無理です。

 そこでそれだけの予算があるのなら、もっと面白い人を呼んで楽しんでもらいたい。それがこの企画が来年も続いて行くことにつながる、と思います。

 ...もっとも、この仕事をしているせいでそっちの方向に考えが行ってしまうだけかもしれないですが... (笑)

 いずれにしてもこれだけの落語ブーム。乗っかろう、あやかろうとする人は増えていきます。その時に我々は、自分の本分をわきまえながらみなさんに笑いを提供し続けていければと、私は心の底から思っています。

   <この項終わり>

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たい亭あたり

 岐阜では珍しい落語・演芸専門オフィスを主宰。同時に岐阜市の小学校の落語クラブの外部講師を務め、夏には学生落語の大会も主催するなど幅広く活動中。夫人は武芸川で小さな喫茶店を経営。