第七十二回 策伝大賞―その2
~6分というキーワード~

2019年03月12日 14:52

  • 学生落語大会を彩るのぼり旗
  • 策伝大賞の高座

 前回、策伝大賞の審査員をお務めになっていらっしゃる桂文枝師匠のブログについて触れましたが、その中で最も辛辣(しんらつ)で、なおかつ今の策伝大賞の現状をお嘆きになっている箇所があります。

 今や若者には漫才コント落語の区別ついてないようで
 嵐のように不条理な言葉を放ち
 古典のストーリーは ズタズタになり
 それでもコント風のツッコミの言葉と間で若い笑い声は響き
 その度にこんな風でいいのかと自問自答し
 こうして落語は変わっていくのかもと感じた次第です

 文枝師匠が学生落語の現状を憂い、ご自分のできる範囲の忠告をなさっている様が見てとれます。ですがその忠告は、実は学生に向けるべきものではないということをどこまで師匠が理解なさっているのか。大会終了後に学生が勢い余って心情をネットに吐露したのはまさにその部分だったのではないでしょうか。

 この手の批評は、何も今回文枝師匠が初めて指摘したわけではなく、過去にも総評で何度か触れられていて、実は今回も志の輔師匠がおっしゃっていました。曰く、「落語は一発ギャグの積み重ねではない」「仕込みがあって初めて、後半の笑いに結びつく」ものであるというご忠告です。

 もしかしたら、お二人ともそのように意見をしてもここ数年、全く変わっていない、とお感じになっているのかもしれません。だとすればそれは、学生にとっても審査員にとっても不幸なことだと思うのです。

 学生が、落語を変えていっているのはなぜか。ストーリーをズタズタにしてコントっぽくしているのはなぜか。それは、策伝大賞だからです。この大会に、そうせざるを得ない高い壁があるからなのです。そのキーワードは、「6分」にあります。

 その昔、落語はテレビ放送には向かない、と信じられている時代がありました。一人の落語家が右を向き、左を向くだけのほとんど動きのない状況が15分、20分と延々と続く。その状況に視聴者が耐えかねてチャンネルを変えれば視聴率は落ちる。そのうちにもっとテレビに相応しいバラエティーが出現し、やがてコントやジェスチャー、あるいは漫才や喜劇に取って代わられる。

 そこに一石を投じ、落語家にバラエティーをさせたのが笑点の大喜利だったわけで、落語といえば大喜利のこと、みたいな認識が世の中にはびこっていた時代がつい最近まであったのです。実はその傾向は今もあまり変わっていません。いわゆる本寸法の落語はその深み、面白みを解説するコンテンツとしては重宝されるけれど、一席まるごとの放送は今も地上波ではされていません。

 ただ、その落語の成り立ちや昔から続いてきたその背景などは十分視聴者に受け入れられると判断されたようで、策伝大賞を共催なさっているNHKは、「ちりとてちん」「わろてんか」「新人落語大賞」、「昭和元禄落語心中」「落語ディーパー」「落語theムービー」など、昨今の落語ブームのきっかけとなる番組を以前から放送しています。

 その効果は絶大で、今のブームの何割かは確実にNHKの功績だと考えていますが、そのNHKがかかわっている策伝大賞の予選の持ち時間は「6分」なのです。日本で行われている落語のアマチュア大会の予選の持ち時間は、宮崎の子ども落語が10分、福井の女性落語の大会が8分、千葉の落語国際大会が10分、私が関わらせて頂いているてんしき杯も10分。策伝大賞の予選の持ち時間6分は、突出して短いのです。

 それゆえ、初期から中期の策伝ではもともと10分以内に収まる前座噺(ばなし)が選ばれることが多くなり限られたネタを学生は演じていました。しかし大会を重ねれば、そこから学生が脱皮して考えていくのは当然のことで、しだいにもう少し長めの噺を自分のカラーを出しながら6分に縮めるようになっていきました。でも...所詮(しょせん)は6分。限界があります。

 志の輔師匠のおっしゃるように仕込みを念入りにするとサゲまでたどり着きません。添削して添削して、言い回しを変えて、しゃべりのスピードを上げてようやくサゲまでたどり着いても、出来上がった噺は良いところだけをつまみ食いした、およそ落語の形をなしていないものとなる。笑いをとるために、仕草(しぐさ)もオーバーになる。

 今回の決勝に上がった8人は、みなその困難を乗り越えて栄光の舞台までたどり着いた、ある意味称賛されるべき8人です。つまり今回の文枝師匠のブログでの苦言は、大会規定の「6分」にこそ、向けられなければならないものなのです。

 時間内に収める努力、そこを見て頂かないとすればそれは、「木を見て森を見ず」ということなのだと私は思います。そこの解決なくして、見た目だけ豪勢な大会になったとしても、文枝師匠の、志の輔師匠の憂いは解消されないでしょう。

 運営の皆さんは、そろそろその問題に真摯に向き合ってほしいものです。策伝大賞に夢を抱いて岐阜に集まってくる、全国の落語を愛する学生のためにも。 

 そしてもう一つの問題は、決勝大会を毎年楽しみにしていらっしゃる市民、県民の皆さまに深くかかわるものです。

 次回は、それをテーマにお話ししたいと思います。