ぎふ財界人列伝 ぎふプラスチック工業編 この道を行く
創業精神で新たな挑戦

  • 東京のホテルで開いた社長就任披露パーティーであいさつする大松利幸=1988年
  • 創業35周年を機に刷新し、現在も使用するコーポレートシンボルマーク
  • 需要拡大に着目し、生産しているパレット類の製品

(5)事業承継

 創業社長の父幸栄が急逝し、第2代社長に就任した大松利幸。事前に親子間での事業承継を直接聞いていたが、会長に就任予定の幸栄が亡くなった1988年5月17日は株主総会が予定されていた。利幸は心の準備もなく、急きょ議長となって総会を開催し、その後の取締役会でグループ会社10社の社長に就任した。

 とにかく慌ただしかった。2日後の19日に密葬、6月9日には社葬を営み、父の突然の死を悲しんでいる間もなく、同月17日から29日にかけて幸栄が日程を決めていた社長就任披露パーティーを東京、名古屋、大阪、博多の4カ所で相次いで開いた。あいさつで「前社長の路線を継承し、社業の躍進に専念したい」と、創業の志を引き継ぎ社業の拡充へ決意を示した。

 大学に進学する前は「物書きになりたい」と思っていた利幸。「経営には全く興味がなかった」と、文筆につながる文学部を希望していたが、一人っ子の長男で将来、会社を継ぐことから法学部へ切り替えた。卒業後は幸栄の意向で取引先の化学メーカーで会社員を経験し、73年に岐阜プラスチック工業に入社。専務を経て副社長として経営全般に携わり、幸栄の下で経営の要諦を身に付けた。

 社長に就任したばかりの利幸は、その年の社内報「しんらい」夏季号に次の考えを掲載した。「今日の岐阜プラグループは業界での地位、収益力をみるとまだまだ力があるとは思えない。専業の多いライバル各社と戦うためには当社も分社化して1対1の真剣勝負に挑まなければならない」と経営の決意を示し、社員に結束を求めた。

 創業35周年。これを機に新しいイメージづくりをするため57年から使っていたリスをモチーフにしたブランドマークを刷新した。89年、新たに制定したコーポレートシンボルマークは、赤をメインカラーに白抜きのRでグループの広がりを象徴。21世紀に向け躍進を続ける岐阜プラグループ「RISU」のイメージを大胆に表現した。

 利幸は社として初めての海外進出に挑戦した。85年のプラザ合意以後、急激に進む円高に対応するため同業他社も含め日本企業は生産拠点を海外へ移していった。岐阜プラの進出先は英国。古くからの顧客が欧州で事業展開するに当たり、その部品を製造するプラスチック成形会社を一緒にやってほしい、と手を強く握る社長の懇願を受け入れる形で、商事会社などとの共同出資で89年に設立した。

 しかし業容拡大することなく、火災による工場焼失もあって、規模を縮小。95年に社員も帰国させ、99年には出資を解消して完全撤退した。利幸は「コアな製品がなく、仕事は計画の3割しかなかった。事前のマーケティングも不十分なまま行ってしまった」と、経営判断につながるマーケティングの精査の重要性を教訓とした。

 創業の精神で社業の拡充を目指す利幸。国内で需要拡大が見込まれる自動車や機械産業向けの工業用コンテナに着目した。バブル景気の絶頂期で需要も伸び続け、生産設備の不足を補うため90年に福島県に関東工場を建設し、関東リスを設立した。当初はコンテナ生産の第1工場のみの計画だったが、時期を同じくしパレットの生産を計画し、第2工場も建設。材料倉庫から成形室、製品倉庫までコンピューター制御の自動搬送とし、生産管理システムやバーコード付き指示書を採用した省力化が特徴だった。(敬称略)


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