白菊の記憶 飛騨川バス転落事故から50年
運転手に土砂崩れの危険忠告 消防団の直感、現実に

2018年08月21日 12:07

  • 寸断された国道41号を避難する人たち=1968年8月18日、加茂郡白川町
  • 土石流を心配し、バスの移動を運転手に指示した今井昭二さん。「直感が現実になったけど、何が正解かは結果論でしかない」と複雑な心境を打ち明けた=6日、加茂郡白川町和泉

 バケツをひっくり返したような雨だった。雷の光で明かりがなくても人の顔が見えるほど。1968年8月18日未明、乗鞍観光ツアーを断念し引き返してきた観光バス15台は愛知県に向け岐阜県加茂郡白川町を走っていた。

 豪雨のため招集された町消防団は白川口駅近くで飛騨川の水位上昇を警戒していた。差し掛かったバスの運転手に副団長が土砂崩れの危険があるからこのまま進むのはやめるよう注意したと、そばにいた浅井邦夫(84)=同町河岐=は証言する。だが、バスは通行止めになっていないからと制止を振り切るように国道41号を南下し続けた。

 バスのことが気になった今井昭二(81)=同町和泉=、鈴村章(78)=同町河岐=ら5人ほどの消防団員が消防車に乗り込み、後を追った。「土砂降りでヘッドライトだけでは前が見えず、サーチライトをともしながら走った」

 3キロほど走っただろうか。3台のバスが崩れた土砂に行く手を阻まれて立ち往生していた。大型バスのためUターンもできない。3台のうち2台が止まっていた道路脇の山側は谷になっていた。ポロポロと小石が崩れ落ちるのが見えた。

 危ない-。地元の地形を知り尽くした今井は土石流の発生を直感し、傘を差して困った顔をしていた運転手に諭すように忠告した。「安全な所まで後ろに下げた方がいい」。まず、2台のうち山側の走行車線に止まっていた1台をバックさせ、川側の対向車線に移動させるよう指示した。

 雨脚が強く、声はかき消された。運転手は「分かりました」と答えたというが、その後バスがどうなったのか今井らには分からない。同じ頃、町内で家屋の浸水被害が相次ぎ、今井らはそちらの現場に移動していたからだ。

 町内の災害現場で夜通し消防活動をしていた吉村泰彦(75)=同町河岐=は明け方、いったん自宅に戻った。

 自宅前の国道41号を歩くと土砂崩れが10カ所ほどあり、その先に土石流の被害を免れたバスが見えた。駆け寄って来た乗客の女性に「助けに来てくれたんですか」と声を掛けられ、バスを見ると窓から飛び降りて走って来る人もいた。「この時、初めてバスの転落事故を知った」。そう声を震わせた。(文中敬称略)

 飛騨川バス転落事故から半世紀がたった。毎年、遺族らが事故現場近くの慰霊塔「天心白菊の塔」に花を手向けるが、当時を知る人は減っている。その後の道路・防災行政に多大な影響を与えた大惨事の教訓は、現代にどう生かされているのか。事故の記憶と記録をたどる。

<8月11日朝刊掲載>

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