白菊の記憶 飛騨川バス転落事故から50年
行方不明者を捜索した警察官 惨状、脳裏に焼き付く

2018年08月21日 12:52

  • 飛騨川下流の木曽川川州で行われた遺体捜索=1968年8月21日、可児市土田
  • 飛騨川バス転落事故現場から下流約300メートルに建てられた、犠牲者らを慰霊する「天心白菊の塔」=10日、加茂郡白川町河岐

 岐阜県警加茂署に最初に入った通報は要領を得なかった。「太田橋下流に複数の水死体がある」。1968年8月18日、時計の針は午前5時を回っていた。美濃加茂市と可児市に架かる太田橋から約25キロ上流、木曽川に合流する加茂郡白川町の飛騨川で起きたバス転落事故から3時間がたっていた。

 豪雨に警戒するため呼び出しを受けていた署員数人が太田橋の現場へ急行した。遺体を収容したが、「なぜこんなに...」。新任で勤務していた山田三郎(70)=美濃加茂市=は理由が分からず、首をかしげた。

 1時間ほどして署に戻り、バス事故の報を聞き、「そういうことか」。ようやく事情が分かった。

 そこから荒波のような日々が始まった。山田ら署員は1カ月休みなしに、遺体の捜索、安置所の当番、検視の補助などに明け暮れた。遺体の多くは激しく損傷しており、「子どもか大人かも分からない遺体もあった」と振り返る。

 「20か30の遺体には携わったと思う。そのたびに心が痛み、事故の大きさを痛感した」。白い布をかぶせられた幼児。遺体にすがりつく家族。惨状は脳裏に焼き付き、頭から離れない。

 行方不明者を捜索中、家族とみられる人たちが懸命に手掛かりを捜す姿を目にし、「そりゃあ、早く見つけてあげたかった」。だが思いもむなしく、犠牲になった104人のうち1割ほどの人は50年たった今も遺体は見つからないままだ。

 御嵩署(現可児署)に勤務していた道家章憲(70)=加茂郡川辺町=は当時建設中だった美濃加茂市と可児市に架かる中濃大橋近くの木曽川で、河原に横たわる幼い男児の遺体を収容した。流された際に岩などに接触したためだろうか、裸だった。

 それから約10年後、道家は白バイ隊員として加茂分駐隊に配属された。勤務中、事故現場近くの慰霊塔「天心白菊の塔」を通り掛かると、必ずあの男児のことを思い出した。「眠るように死んでいた。きれいな顔をしていたけど、本当にかわいそうで。思わず涙が出てきた」。半世紀たっても、その光景を忘れることはない。(文中敬称略)

 飛騨川バス転落事故から半世紀がたった。毎年、遺族らが事故現場近くの慰霊塔「天心白菊の塔」に花を手向けるが、当時を知る人は減っている。その後の道路・防災行政に多大な影響を与えた大惨事の教訓は、現代にどう生かされているのか。事故の記憶と記録をたどる。

<8月12日朝刊掲載>


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