白菊の記憶 飛騨川バス転落事故から50年
「法要続ける」遺族らの決意 記憶を風化させない

2018年08月21日 13:37

  • 事故から1年後に行われた「天心白菊の塔」の除幕式。遺族ら約350人が出席し、慰霊祭も開かれた=1969年8月18日、加茂郡白川町河岐
  • バスを押し流した土石流の崩落現場で安置されている「飛水身代観音」=6日、加茂郡白川町河岐

 飛騨川バス転落事故現場となった岐阜県加茂郡白川町の国道41号沿いに、赤ん坊を抱いた観音像がある。名前は「飛水身代観音」。普段は雑草で覆われ、事故が起きた8月18日を除き、観音像を目的にこの場を訪れる人はほとんどいない。

 104人が犠牲となったこの事故で親子らの遺体は飛騨川から木曽川、伊勢湾にまで流され、知多半島にも漂着した。事故から数年後、犠牲者を供養するために洞雲寺(白川町和泉)の住職尾関幸憲(58)の父祖明と、遺族会長だった秋山茂則、愛知県仏教会は、東海3県の寺を巡礼する「東海圏新西国三十三観音霊場めぐり」を設けた。

 洞雲寺をスタートして美濃加茂市、愛知県犬山市、知多半島、渥美半島を経て、フェリーで伊勢湾を渡って三重県鳥羽市へ。北上して名古屋市、岐阜市を通って、最後は納め観音として「飛水身代観音」に参拝するコース。

 尾関は「当初は遺族を中心に年間100人以上が訪れ、御朱印で真っ赤になった帳面を持つ人がたくさんいた」と振り返る。しかし、事故から20年が過ぎた頃から慰霊者の足は遠のき始め、今ではほぼ途絶えた。地元でも観音像の存在を知る人は少なくなった。

 事故現場近くの慰霊塔「天心白菊の塔」では、毎年8月18日に法要が営まれている。事故翌年は遺族約270人が参列した、と岐阜日日新聞(現岐阜新聞)の記事にある。

 月日は流れ、遺族は高齢化、代替わりが進み、遺族会は2000年の33回忌を区切りに解散。法要の参列者は年々減り、最近では数人が訪れるだけだ。

 法要を主催する町仏教会の00年当時の会長で龍気禅寺(同町切井)住職の古谷道一(59)によると、遺族会解散時、法要をこのまま続けるべきかどうかが議論になったという。だが、「あれだけのバス事故はないし、自然に対する畏敬の念を忘れないためにも続けることにした」。

 事故で母=当時(31)=を亡くした西川欣吾(55)=愛知県尾張旭市=は毎年、息子を連れて法要に参列している。事故をこれからも語り継いでいく決意だ。

 未曽有のバス事故の記憶と教訓を風化させるわけにはいかない。時の流れにあらがうように、それぞれの取り組みが続く。(文中敬称略)

 飛騨川バス転落事故から半世紀がたった。毎年、遺族らが事故現場近くの慰霊塔「天心白菊の塔」に花を手向けるが、当時を知る人は減っている。その後の道路・防災行政に多大な影響を与えた大惨事の教訓は、現代にどう生かされているのか。事故の記憶と記録をたどる。

<8月18日朝刊掲載>


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