県美は今
宗廣力三 洗練された郡上紬生む

2020年05月30日 10:05

 色は冴(さ)えて、堅牢(ろう)で

 やわらかくて、こし強く

 深みがありて、あたたかく

 宗廣力三(むねひろりきぞう)が紬織(つむぎおり)の理想とし、研究生たちに語り書き残した言葉である。

 宗廣は1914年に郡上郡八幡町(現・郡上市八幡町)に生まれ、82年に「紬縞(しま)織・絣(かすり)織」で国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。晩年、療養を兼ねて移り住んだ神奈川県南足柄で亡くなるまで紬織に情熱を捧(ささ)げ続けた染織家である。

 13歳で郡上農林学校(現・郡上高校)に入学し、この地方では栽培不可能のスイカの収穫に成功するなど研究熱心だった。終戦後、満州から引き揚げてきた若者たちと郡上郡白鳥町那留ケ野(現・郡上市白鳥町)に入植した。寒冷地で実りは少なく、農業以外の産業を思案した末に紬織を選んだ。紬は、古くは農村の女性たちがくず繭を紡いで家族のために織ったものだった。

 52年、農場に研究所を開設した。開拓地の女性、研究生とともに繭から糸を紡ぎ、植物染料で染め、機を織り、試行錯誤の上「宗廣の郡上紬」を生み出した。しかし当時は戦後復興の最中(さなか)、明るく華やかな着物が好まれ、素朴な紬は相手にされなかった。宗廣は諦めることなく地場の産業発展のため色彩、文様構成に取り組み、染織家になることを決意。使用する色数を限定して、濃・中・淡色で糸を染めた。絣の緯糸(よこいと)を心のままに織り上げ、生まれる色のずれを大胆な文様にした「やたら絣」を生み出した。

 やがて、手紡ぎの優しい風合いと植物染料の柔らかな色をもつ紬は、人に寄り添い、人を包み込む着物として認められていく。さらに宗廣の紬は基本の縞や格子に丸などの幾何学要素が加わり、デザイン性の高いモダンな意匠に発展していった。宗廣の持ち前の探求心と理知的な構成力により、素朴な農村の織物は洗練され、広く知られることとなった。

 岐阜県美術館では「春の名品展」の後期展示期間である6月9日(火)から「初期郡上紬裂地(きれじ)」を展示する。宗廣と多くの人々が関わり創り上げた郡上紬の軌跡をご覧いただきたい。

 (県美術館学芸員・齋藤智愛)

=おわり=

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