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新しい感覚で授業に挑戦を/柘植良雄・岐阜聖徳学園大教授
じっくりと文字や絵図を読み返す

2017年04月03日 11:15

新しい感覚で授業に挑戦を

新しい感覚で授業に挑戦を

 長年教員をやっていますが、なぜか自分が失敗したことはいつまでも鮮明に覚えています。

 中3の道徳に「どろぼう」という読み物資料がありました。少年であった主人公は、ある日老人からつり銭をだまし取ります。しかし、その後、だんだんと自分の行為を悔い始めます。

 『老人は貧しい身なりの自分を励ますつもりで、わざとつり銭を間違えたんだ』とか、『昔のことだから、いまさら気にしなくてもいい』などと、自らを正当化しようとしますが、心は晴れません。月日は流れ、立派に大人となった主人公は、ついに老人を訪ね、昔の行為に許しを得ようとしますが、すでに老人は亡くなっていました。墓石を前にした主人公は、いつまでもいつまでも涙が止まらない、というあらすじです。

 私は、授業の後半に、墓石を前に涙が止まらない主人公の気持ちを生徒に尋ねました。「もっと早く、老人を訪ねるべきだった」「だまし取ったことを、心からわびたかった」「立派に大人となって頑張っている姿を、老人に見てもらいたかった」「老人は、自分をどろぼうと思ったまま死んだのだろう。自分はどろぼうなんかじゃない!」。私は、生徒の発言から主人公の気持ちをこんな板書でまとめました。

 授業も終わり近くになった時、ある生徒が「先生! 少し意見が違うんだけど...」と言い出しました。彼は、まだ主人公の気持ちを考えていたのです。「涙が止まらないのは、少年の時から自分がずっと背負ってきた苦しい(後悔の)気持ちを、これからも背負って生きていかなくてはならないからで、老人を訪ねたのは、苦しい自分が楽になりたかっただけ。それがもう永久に出来ないから涙が止まらない...」。こう言ったのです。

 私はこれを聞いたとたん、体中が熱くなったのを覚えています。「そうか! そういう見方もできるんだ...」。生徒の方が私よりずっと読みが深い。真剣に考える生徒に感謝すると同時に、自らの勉強不足をありありと感じました。学年の先生方から、道徳の資料は「行間を読め!」と指導を受けたことを覚えています。教師1年目の、忘れられない苦い経験です。

 今年も、多くの若い先生方が各学校に赴任されます。若い先生方は、あれもこれもと学ぶことは山ほどあります。しかし、まずは日々の授業に力を入れてほしいと思います。じっくりと文字や絵図を読み返し、子供一人一人の姿をイメージしながら、行間まで読みとるような教材研究でありたいものです。そして、それができるしっとりとした子供たちに育ててほしいものです。自分が分かる(分かった)からといって、うまく教えられるものではありません。プロの教師として、教材研究はここに多くの時間がかかるのです。

 新学習指導要領が告示されました。主体的、対話的で深い学びが叫ばれています。対話的とは、もちろん仲間との対話が真っ先に思い浮かびますが、自分一人でじっくりと考える自己との対話、文献や図書との対話、ICT機器でつないでの対話などさまざまな対話の姿や対象が考えられます。若い先生方や異動された先生方は、その学校の従来のやり方にとらわれることなく、新しい感覚で自分の授業に挑戦し、大いに失敗を重ねて指導力を高められることを願っています。

 子供の資質・能力の向上は、教師であるあなたの指導力にかかっているのです。