スタートダッシュだ、出遅れるな。ゲートオープンとともに一斉に飛び出す競走馬。先行激化の笠松競馬で、騎手たちが手綱さばきを競う
ライデンリーダーに騎乗する安藤勝己騎手。笠松デビューから桜花賞トライアルまで11連勝を飾った
食生活での体重管理もばっちりのベテラン東川公則騎手
名古屋グランプリで、大畑雅章騎手が騎乗したカツゲキキトキトは3着に終わった

 「人馬一体」とは言うが、地方競馬ではやはり、騎手の力が大きいようだ。中央競馬では「競走馬7、騎手3」といった力関係が、地方競馬では「競走馬6、騎手4」にもなると聞いたことがある。

 もちろん、競走馬のスピードや差し脚の威力など絶対的な能力の違いはあるだろうが、同じようなレベルの馬に騎乗した場合、騎手の手腕によって、着順も大きく変わってくるということだ。

 笠松でかつて、絶対的エースと若手との「騎手力の差」を実感したことがあった。1999年にデビューしたクラボクモン(岩崎幸紀厩舎)というアラブのオープン馬がいた。デビュー戦以来、坂井薫人騎手が騎乗し、2年目までに9勝を挙げる好成績。中京スポーツ杯優勝、オグリオー記念では2着だった。若手では非常に乗れていたジョッキーと、末脚堅実な期待馬とのコンビ。人馬ともに好きなタイプで応援していた。

 1600メートルから1900メートルの距離を中心に使われ、坂井騎手で15戦連続3着以内と好走していたが、重賞では勝ち切れないもどかしさがあった。最後の直線では必ず追い上げてくるが、差し届かずに脚を余すケースも目立った。

 2001年、クラボクモンは3着が3回続いた後、安藤勝己騎手に乗り替わると一変した走りを見せた。東海グローリから名古屋の2戦まで4連勝。特に印象深かったのは、2戦目のアラブチャンピオン賞。距離1900メートルで、中団6番手からレースを進め、3コーナー手前の下り坂から早めに追い出すと、4コーナーを回って先頭に立つ勢い。直線では一気に突き抜けて、5馬身ほどの大差でゴールした。

 笠松での騎乗方法を知り尽くした名手が「こうやって乗るんだよ」とお手本を示してくれた。笠松リーディングに19回輝き、中央でも勝利を量産していた男の騎手力を思い知らされた。もちろん走るのは競走馬であるが、動かすのは騎手。「馬はレースでは本気で走っていないことも多い」と聞くが、開催日ごとに違う馬場の特性、レース展開を読み、勝負どころで馬を本気にさせる手腕はさすがだった。

 名手での圧勝劇に「ジョッキーの腕次第で、タイムが1秒は違う」と感じたものだ。当時41歳の安藤勝己騎手。JRAに移籍する2年前のことだった。

 坂井騎手は01年には笠松で69勝を挙げるなど若手の成長株だった。海外競馬(シンガポール)にも積極参戦していたが、地元での騎乗機会は減って03年に笠松競馬を引退。「体重管理の問題などがあって」と関係者から聞いて、とても残念だった。騎手引退後も競馬関係の仕事は続け、大井競馬の厩務員を務めている。笠松の騎手らとの親交も続いているようだ。兄は大井の坂井英光騎手(JRA・坂井瑠星騎手の父)である。

 騎手という職業は、ボクサーと同じで減量が厳しく、好きな物も食べられない苦しみもある。笠松競馬では体重52キロがほぼ上限のようだ。安藤勝己騎手も引退前は太めとなり、ウエートコントロールにかなり苦労していたと聞く。若くても、仕方がなく現役生活に別れを告げる者も多く、体重管理は騎手の大切な仕事の一つである。

 減量については、太らない体質の騎手もいて、個人差が大きい。トップジョッキーの東川公則騎手は「普段はお酒は飲まないで、温かい緑茶が多い。米は食べなくて野菜中心で、体重は増えないです」と話していたが、節制ぶりを見習いたいものだ。

 14日の名古屋グランプリ(JpnⅡ)では、1番人気カツゲキキトキト(大畑雅章騎手)のダートグレード初制覇が期待されたが、昨年に続いて惜しくも3着に終わった。2番手から4コーナーで先頭に立つ思い通りの展開となったが、前々走で中央重賞・シリウスS(GⅢ)を制したメイショウスミトモ(古川吉洋騎手)の鋭い差し脚に屈した。

 予想各紙には本命の印が並び、ファンの期待も充満していたが、中央馬相手では、もう一つ足りないようだ。同じ2500メートルでオグリキャップ記念を逃げ切ったように、先手を奪う競馬も面白いのではないか。来年は5歳になるが、厩舎後輩・木之前葵騎手とのコンビもまた見てみたい。全国的にもファンが非常に多く、笠松出身馬でもある。悲願達成まで何度でも挑戦してほしい。