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オグリの里

笠松ファンの「オアシス」愛馬会売店再開



笠松競馬場内で営業が再開された「愛馬会」の競馬グッズ販売店

 「お久しぶりです」。笠松競馬ファンの「オアシス」が再開された。調教師の家族らでつくる「愛馬会」(後藤美千代代表)の競馬グッズ販売店で、約9カ月ぶりのオープンとなった。コロナ禍の影響で、近くの東門は閉まったままだが、正門から入場したファンがお目当てのグッズを求めて来店(入店制限あり)。ライブ観戦が可能になったスタンドの熱気とともに、場内の活気を呼び戻してくれた。蹄鉄で作ったしめ飾りなどの販売も12月から始まり、笠松競馬の開催を盛り上げていく。
 
 11月20日の第10R、トウホクビジンの初子であるユノートルベル(牝4歳、花本正三厩舎)が笠松移籍初戦を迎え、遠来のファンの姿もあった。馬名は「もう一人の美女」(フランス語)という意味で、父はアイルハヴアナザー。パドックから返し馬への写真撮影後、愛馬会の売店に寄ってみると、後藤さんと、夫で名伯楽だった保調教師の妹さんが、蹄鉄しめ飾り作りに励んでいた。12月1日から名鉄笠松駅構内の「ふらっと笠松」で、3日から競馬場内売店で販売予定という(県庁での販売はなし)。

 競走馬に使われた蹄鉄をあしらった「迎春升飾り」作りも順次進められ、しめ飾りは1000~3000円、升飾りは1500円で販売される。川崎競馬場でも3年間、出張販売されたが、200個以上が30分ほどで完売したこともあった人気グッズ。今年は現地販売はできないが、待っているファンもいるだろうから「プレゼントしようかな」と後藤さん。

 蹄鉄しめ飾りは2005年、ファンからのアイデアで、愛馬会が作って販売したのが始まり。摩耗などで1カ月で交換される蹄鉄は、西洋では魔よけとして飾られる縁起物。磨いてきれいにした後、厄よけの祈とうを受けたものを飾り付ける。「十数年前には、ここで出会った2人が結婚したこともあります。北海道の社台ファームで働いていた男性と、春日井市の乗馬クラブの女性でしたよ」と、愛馬会が縁結びにもなったようだ。

オグリキャップのぬいぐるみが当たり、愛馬会売店に来店したファンを喜ばせた

 笠松競馬を愛するファンの交流拠点にもなっている店内。この日は千葉県や名古屋市からの来店者に会うことができた。船橋市から岐阜へ観光に来たという女性。雨天になったため、岐阜城には行かず、笠松競馬場に来場したという。「かつてはハイセイコーのファンで、活気があった中山競馬場を知っていますから」と、中山で有馬記念を勝ったオグリキャップが育った笠松にも立ち寄ってくれた。
 
 グッズ売上金の一部は福祉目的の寄付金のほか、協賛レース「好きです笠松競馬」の賞金として活用。勝負服などグッズの提供にも協力しているジョッキーに還元されている。グッズの売れ筋は、やはりオグリキャップ関連で、トートバッグやクリアファイルなどが人気。「オグリのぬいぐるみが欲しい」という人も多いが、入荷待ちの状態。「300円くじ」も好評で、ジョッキーのサインやストラップ、ゼッケン、Tシャツなども当たる。船橋市の女性は初めての来店で、オグリの小さなぬいぐるみをゲット。「前日が誕生日だったし、運がいいです」と、アンカツさん(安藤勝己元騎手)の勝負服お守りもプレゼントされ、にっこり。名古屋からの男性客は佐々木竹見元騎手のジャンパーやオグリのカップが大当たり。店内には、馬が走る時の「滑り止め」にあやかった合格祈願の蹄鉄グッズなども並べられ、見ているだけでも楽しくなる。

トウホクビジンの初子・ユノートルベルが笠松に移籍。筒井勇介騎手が騎乗し、後方から追い上げたが4着だった

 ■トウホクビジンの初子のレースが見たくて                
 第10Rの霜月特別に参戦したユノートルベルには、笠松リーディングの筒井勇介騎手が騎乗。2番人気で注目を集め、後方から追い上げたが4着だった。レース観戦後、愛馬会売店に戻ると、「トウホクビジンのファンで、その初子のレースを見ようと来ました」と千葉県市川市の女性。誘導馬のカレンダーやトートバッグなどを購入し、「グッズがいろいろとあって、くじが外れなしで面白いです。お店の人が覚えてくれていたし、庶民的で優しいです」。5年前に笠松で行われたトウホクビジンの引退式に来場。中央デビューのユノートルベルも追い掛けて、新潟での新馬戦にも応援に行ったそうだ。中央では未勝利だったが、園田で4勝を挙げており実績十分。母・トウホクビジンは全国で歴代最多の重賞出走記録(130レース)を持つ「鉄の女」で、今なお根強い人気がある。現在は北海道・新冠町のビッグレッドファームで繁殖馬生活を送っており、牡3歳のマイネルコロンブスがJRAで1勝、父・コパノリッキーの牡1歳馬が来年デビューを目指している。

 後藤さんは「笠松競馬場へ遊びに足を運んでほしいです。コロナの影響で来場者は少なく厳しいですが、ファンを呼べる何かを用意しないとね。この場にいると『ファンあっての競馬場で、皆さんに支えられている』と実感し、感謝の気持ちでいっぱいです」。プレゼントなどサービス精神旺盛で、「ここは『人情の売店』です」とも話し、訪れるファンを大切にし、笠松競馬の存続を支え続けている。そんな活動に「いまの笠松競馬があるのは、愛馬会のおかげですよ」と力を込めて伝えておいた。

 ■笠松競馬の経営ピンチに、署名活動で存続を訴え

 愛馬会が発足したのは2004年4月。当時「笠松競馬サポーターズ倶楽部」が発行していた「うまなり」臨時号によると、笠松競馬の調騎会(調教師・騎手会)の婦人会総会で「競馬場を盛り上げるため、来場者へのあいさつ運動など何か私たちの手でできることはないか」と提案。競馬組合ファンサービス課に活動を承認してもらい誕生した。メンバーは婦人会を中心に、その家族、獣医や蹄鉄屋の奥さんたち。横断幕を作っていると、騎手たちが「僕たちも愛馬会です」と言ってくれたそうだ。活動は、オグリキヤップ記念に向けたポケットティッシュ配りの手伝いが最初。あいさつ運動のほか、場内の草刈り、バザー、競馬グッズプレゼント、門松の飾り付けなどを行ってきた。

 愛馬会が発足したこの年、激震が走ったのは「経営は既に構造的に破たんしており、競馬事業を速やかに廃止すべき」という笠松競馬経営問題検討委員会がまとめた9月中間報告。愛馬会は署名活動などを通して存続運動の中心となって、活動の輪を全国レベルに広げていった。「競馬場を買ってください」などと悲痛な訴えも行われ、ライブドア(IT関連企業)が馬券販売などでの参入で、経営の立て直しに意欲を示してくれた。

笠松競馬の存続を願って、金山総合駅で行われた署名活動。愛馬会や「守る会」のメンバーが参加した(2004年11月)

 当時は名古屋支社勤務で、後藤さんら愛馬会のメンバーと初めて会ったのは、笠松競馬場の正門前だった。廃止の危機に、存続を求める懸命な署名活動とともに、「笠松競馬を守る集い」への参加を呼び掛けていた。騎手や調教師の男たちは、日々の調教やレースで手いっぱい。夫を支える妻たちが、「遠くから応援に来た」という全国の笠松ファンの後押しも受け、存続を信じて闘っていた。

 名古屋競馬では既に約40億円の累積赤字を抱え、存廃問題が浮上していたが「名古屋競馬のあり方懇談会」は取材していても廃止への切迫感はなかった。一方の笠松競馬は、まだ赤字でもないのに廃止を前提にしており、「オグリキャップが育った競馬場をつぶすなんて、ありえないこと」と、経営改善策を示さない「お役所競馬」への怒りがこみ上げていた。

 存続を願う有志でつくる「守る会」と愛馬会は、名古屋市の金山総合駅南口でも署名活動を実施。存廃問題を初めて記事にすることができたが、JRAのウインズにも近く、地方・中央のファンを問わず多くの署名が集まった。「笠松はほっとできる場所で、なくなると寂しくなる」「ライブドアなどの民間参入を期待している。存続し、いい馬を育てて」といった励ましの声もあった。

 このところ、全国の地方競馬はV字回復を果たしているが、当時(04年11月)の笠松競馬の存続運動では、その後の「馬券の地方・JRA相互販売」につながる注目される動きがあった。

 笠松競馬の存続を願う住民らは、笠松競馬とJRAが連携し、馬券を相互販売できるようにする規制緩和を求めて「笠松・JRA連携特区」構想を内閣府に提出した。構想では、JRAの未勝利戦と500万円以下(現1勝クラス)のレースを笠松競馬場で開催し、賞金はJRAが提供、馬券もJRAで発売できることを求めていた。提出したのは、愛馬会や笠松競馬ファンだった。

 地方とJRAの下級クラスでの交流戦は笠松でも行われるようになったし、12年10月からは笠松など地方競馬の馬券がJRAインターネット投票で購入できるようになった。14年10月にはJRAの馬券が購入できる「J-PLACE」が笠松競馬場とシアター恵那でもオープン。「笠松・JRA連携特区」構想が先駆けとなって、地方・中央競馬の相互交流につながったといえるだろう。いまから思えば、愛馬会や笠松競馬ファンの活動は、その後の存続を勝ち取るとともに、全国の地方競馬の復興につながる大きな役割を果たしてくれたのだった。



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ハヤヒデ

 80年代から笠松競馬を愛し、オグリキャップの走りに感動した競馬ファンの一人。岐阜新聞社に勤務。