流行のミニバッグを使いたくて荷物をどんどん軽量化している。財布、スマートフォン、ハンカチ、リップクリーム、ハンドクリーム、イヤホン、文庫本。あれこれ詰め込んでも重りにしかならなくて、これだけでどこまでも行ける。大学時代、万が一使うかもしれないありとあらゆる荷物を入れた大きな鞄(かばん)を持って、岐阜名古屋間を通学してへとへとになっていたのが馬鹿(か)みたい。自立の心は鞄の中身とつながっているのだ。

 この冬はドキュメンタリー撮影のため、テレビ制作会社の女性ディレクターがあちこち同行した。アシスタントディレクター(AD)経験も長いその彼女の荷物のすさまじさたるや。充電器、乾電池。マスキングテープにペンにクリップにメモ帳。被写体の体を冷やしてはならないと、カイロもあればのど飴(あめ)もあってごみが出た時用のごみ袋まである。今回の私の仕事は被写体のため、見苦しい余計な荷物を極限まで減らして彼女の恩恵に甘えつつ、「自分でできること」ってなんだろうと改めて思った。

(撮影・三品鐘)

(撮影・三品鐘)

 もし欲しい荷物が手の届かない高い棚の上にあったら。これは女性ならよく聞かれることで、背の高い男性に「ごめん、あれ取ってくれる? ありがとう」とさらりと頼るのがモテ力のある女性だと言われている。確かに絶対借りを作らせたくない、フェアでありたいという気持ちから毎日脚立まで持ち歩いていたらその女性の自立心はすごいが、自立とはそういうものじゃないだろう。

 そうして10代20代のころ、親しい相手にすぐに依存しそうになって、反動で極端な自立心を持て余していた私が今思うのは、毎日すべてを自分でこなすのではなくて、そして愛する誰かにすべてを委ねるのでもなくて、あちこちに小さな借りを作れること、その借りをちゃんと返せることが自立ではないだろうかということだ。そこに行けばすべてがあるのでもない。私にすべての能力があるのでもない。ただ少しずつ知恵を貸し合いながら、糧を分け合いながら、日々をこなすこと。そうして総合的に、一人で立っていること。それが自立だ。

 そう言っているうちに雨が降ってきた。大丈夫、コンビニに寄って傘を買えばいい。傘が余ったら、いつか雨の日に訪ねてきた人に譲ればいい。それが総合的に見て、たった一人でも生きられることなのだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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