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白菊の記憶 飛騨川バス転落事故から50年

赤色灯「弧を描いて消えた」 バス運転手手記見つかる



森下優さんの自宅で見つかった、遠藤慧さんがつづった手記「走馬燈」=岐阜市内
森下優さんの自宅で見つかった、遠藤慧さんがつづった手記「走馬燈」=岐阜市内

 1968年8月18日、岐阜県加茂郡白川町の国道41号で、豪雨による土石流で観光バス2台が押し流されて飛騨川に転落、乗客乗員104人が犠牲になった「飛騨川バス転落事故」。転落したバス近くで立ち往生していた、別のバスの男性運転手が当時の様子を回想した手記「走馬燈」が見つかった。前後が土砂崩れで身動きが取れない中、目の前でバスが流され、不安に襲われながら救助を待つ様子が記されている。

 手記は2004年に69歳で亡くなった元名古屋鉄道社員の遠藤慧さんが、事故から20年後の1988年に作成。それから10年後の98年、事故現場を管内に持つ加茂署で次長だった森下優さん(71)に「機会があれば公表してください」と預けていた。

 手記によると、バス2台が転落した際、遠藤さんのバスはその後方で停車していた。激しい雷鳴と雨の中、「突然前方のバスが異常なことを始めたのだ。(バス後部の)赤色灯がやや上に上がり右へ弧を描いて右下方へ消えた」とバスが飛騨川へ吸い込まれた様子を記述。「何だろう。暗闇でよくわからないが、時計を見ると2時10分をさしている。心臓が高鳴り始めた」と、不安の高まりを記す。

 その後、転落したバスのすぐ後ろの乗客らは、遠藤さんのバスに「乗せてくれ」「もう恐ろしくていられなくて来た」などと大勢押し寄せたという。「このバスも安全の保証は一つもない。いつ自分たちの車に直面した山が崩れてくるか分からない。もう運を天に任せるしかない」と同じ目に遭う恐怖と戦う一方、飛騨川の激流が道路に押し寄せ、増水で流される可能性も心配している。

 「黙って耐えている時間は非常に長い。もうどうにでもなれという気持ちと、あわよくば助かってくれという気持ちが交錯する」と率直な心境も吐露。明け方、雷鳴がやんで雨も弱まり、空が明るくなると、「涙が出てきた。助かったと思い、また家族に会える喜びが押し寄せた」と、絶望から解放された喜びを伝えている。

 手記は、事故から50年の報道を目にした森下さんが、自宅を探したところ見つかった。

<8月18日朝刊掲載>




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