岐阜新聞Web

  • 美濃
  • 飛騨
  • 美濃
  • 飛騨


白菊の記憶 飛騨川バス転落事故から50年

現場の石を集め続けた父 亡き母を思い花壇に



  • 飛騨川バス転落事故の初七日法要。転落したバスを見下ろす飛水峡展望台の仮祭壇で犠牲者の冥福を祈る遺族ら=1968年8月24日、加茂郡白川町 
  • 実家で、飛騨川バス転落事故の現場から持ち帰った石を持つ西川欣吾さん=7月、愛知県尾張旭市 

 実家にはいくつもの山から崩れた石があった。父が息子と一緒に毎年少しずつ増やした。父はその石で庭に小さな花壇を造った。鎮魂の念を積み上げるように。

 1968年8月18日、岐阜県加茂郡白川町で起きた飛騨川バス転落事故で、濁流にのまれたバスに愛知県尾張旭市の西川欣吾(55)の母喜代美=当時(31)=は乗っていた。

 「水が流れているところで、石を拾ってこい」。欣吾は白川町で毎年営まれる慰霊法要に参列するたび、父武史から事故現場で大きな石を拾ってくるよう指示された。父は持ち帰ったその石を自宅の庭に並べ、簡単な花壇をいくつか造った。

 父はおととし、82歳で亡くなった。遺品を整理していると、色あせた新聞の切り抜きを見つけた。事故から3カ月後、息子2人を男手一つで育てる父の苦悩を取材し、取り上げた記事だった。母が所属していたママさんバレーが事故後も奮闘する様子を紹介した記事もあった。事故のこと、母のことをまったく語ることがなかった父だが、遺品からは母への思いがうかがえた。

 バスツアーに参加したのは家族で母だけだった。自動車の営業マンだった父はその日仕事で、当時5歳の欣吾と2歳上の兄は父の実家に出掛けていた。

 「自分が一緒にツアーに行っていればどうなったのか、なぜ母だけが行ってしまったのか考えたのだろう」。父がずっと抱いていたであろう葛藤に、欣吾は思いを巡らす。

 欣吾も母と一緒にツアーに参加する予定だったが、当日の朝になり兄を追って父の実家に出掛けることになった。母が見送ってくれたことを覚えている。「虫の知らせがあったのか。父の在所に引き寄せてもらい、生きながらえている」。夕方まで遊んで帰ってきて、風呂場で洗ってもらいながら怒られた母の記憶が鮮明に残る。

 今年7月、父の家を解体することになり、花壇の石を敷地の隅に集めた。数えてみると100個近く。「拾ってきたものだから返さないと」。慰霊法要に参列したついでに少しずつ戻そうと考えている。

 法要には大学生になった息子2人も連れて行く。父がずっとそうしてきたように。そして、母親を突然失った悲惨な事故を語り継いでいくつもりだ。(文中敬称略)

 飛騨川バス転落事故から半世紀がたった。毎年、遺族らが事故現場近くの慰霊塔「天心白菊の塔」に花を手向けるが、当時を知る人は減っている。その後の道路・防災行政に多大な影響を与えた大惨事の教訓は、現代にどう生かされているのか。事故の記憶と記録をたどる。

<8月14日朝刊掲載>




  • 1