運動会で応援優勝杯を受ける赤団、白団の団長=山県市東深瀬、富岡小学校
新聞記事から学び、社会に対する自分の思いを書く子どもたち=同

陸上男子100「桐生選手9秒台」の記事
広島「平和への誓い」戦争の事実正しく学ぶ

県NIEアドバイザー・奥田宣子山県市立富岡小教諭

 「桐生祥秀選手が9秒98 日本選手で初の9秒台、男子100」。そんな見出しが、9月10日の新聞を飾った。運動会の練習真っ最中の子どもたちにとって、この記事はまさにトップニュース。50メートルを競う自分のタイムと比べ、そのすごさに驚いた。歩幅も1歩の最大が2メートル40センチ。改めて定規で確認すると、そのスピード感にどよめきが起こった。この快挙が、一気に憧れへと変わった。新聞記事が子どもたちの思いを膨らませ、夢に向かうエネルギーとなった。

 その後間もなく、富岡小学校の運動会が開かれた。「力を出し切れ 真剣勝負 燃えろ 輝け 富岡魂」と、力強い団長の選手宣誓の声で始まり、子どもたちは、熱い思いを込めて全力で競技。応援の声を響かせ、笑顔を輝かせた。

 新聞記事を組み込んだ学習で、子どもたちは72年前の出来事と向き合うこともできた。

 2学期に入り、6年生の子どもたちは、国語の授業で、「未来がよりよくあるために」というテーマで意見文を書く学習をした。その資料として、新聞記者であった元広島平和文化センター理事長の故大牟田稔さんが書いた「平和のとりでを築く」を学んだ。『広島市には、1発の原子爆弾で破壊され、そのままの形で今日まで保存されてきた原爆ドームとよばれる建物がある』。この一文から始まり、世界遺産登録に至る人々の願いが書かれている。

 戦争を知らない子どもたちにとって、想像もつかない当時のことを、実感させたのは、8月6日に行われた平和記念式典の中で、自分たちと同じ小学6年生が行った「平和への誓い」の記事だった。「未来の人に戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です」。記事のこの文面こそが、「新聞が、遠く離れた岐阜の地に生きる私たちに、広島で起きた事実を正しく教えてくれる」と伝えているように思えた。

 原爆ドーム保存運動が盛り上がったのは、急性白血病で亡くなった少女の日記がきっかけであった。この少女も今の自分たちと同世代。学校に行くのは当たり前。楽しく遊べる友達がいる。自分を応援してくれる家族がいる。仲間がいる。今の自分の当たり前が、なくなってしまうことなんて考えたこともない現在の毎日。でも戦争によって、何もかもがなくなってしまった現実があった。

 子どもたちが、夏休みに収集した新聞に「空襲72年悲しみ今も」「かわいそう でも命令絶対」と書かれた岐阜空襲の記事があった。写真をよく見ると、今の岐阜駅周辺部。広島や長崎の出来事だけでなく、自分たちの住む岐阜も戦火にさらされた。焼け野原となり、恐怖の日々を過ごし、命を落とす人も少なくなかった。

 記事を通して事実を知り、学習を深めた子どもたちは、「原爆ドームは負の遺産。でも世界遺産として多くの人が見て事実を知り、学ぶことで、人の心の中に平和のとりでを築くことができる」「今、便利さや豊かさに満ちていることに感謝したい」と語った。そして、笑顔はよりよい未来への第一歩、自分も仲間も笑顔が輝く学校を創ろうと、願いをもち、日常の意識を高めている。