PTA新聞、深化遂げる

 PTA、わが国の学校文化を下支えしてきた重要な組織である。近年は社会の変化に伴い、その在り方にも議論があるようである。しかし、この旧態依然とした組織にあって、PTA新聞あるいは広報といわれるものは、時代の変化と共に深化を遂げてきた。

 そもそもPTA新聞はだれが作成しているかといえば、周知の通り各学校の保護者選抜チームである。一昔前であれば広報担当として集められたはいいが、ほとんどが何から始めればよいか分からず困り果て、前年のものを踏襲し作成していた。その労力たるや甚大であり、保護者からも敬遠されがちな係であった。

 苦労を増幅させる理由は、新聞でありながら記事や取材に自由さがないことである。何を伝えるか、新聞であれば核である。核なのだが、PTA新聞は、数カ月間の学校の行事がメインであり、とっぴな校内のニュースや、特定の個人や集団もクローズアップしにくい。限定的で、工夫の余地も限られてしまう。

 それでも十数年前より深化しているのは、広報を担当する保護者に、変化が表出し始めたためであろう。担当者自身、日頃よりブログやツイッター、LINE(ライン)が習慣化し、潜在的に情報を伝える能力が備わった。カメラの位置、被写体の構図、短文の構成など、そのレベルは向上が著しい。結果、新聞全体の掲載された記事の表現、レイアウトも随分と洗練されたものになってきた。

 私の勤務校にも、PTA新聞が掲示されている。暇な折、新聞を見つめる児童・生徒・保護者を、校長室から眺めることがある。すると、この新聞には他の掲示物と違い、何度も見返す効果があることに気が付いた。単純に表現やレイアウトが洗練され、構成が華やかということもあるが、学校という共通の共同体だけで通じ合える、つながれる情報が内在しているからであろう。記事や写真の中にいる自分やわが子、友達、先生を見つけ、つながりを振り返り、確認しているようにさえ見える。

 PTA新聞は、典型的な閉じられた情報媒体である。ネット上に見られる各校のPTA新聞を再点検してみると、紙媒体かつ閉じられた媒体の安心感から、他の情報媒体では禁止されそうな情報も掲載されている。一方、毎日家庭に届けられる新聞は、自分とのつながりは極めて希薄な開かれた情報媒体である。会員制交流サイト(SNS)はどちらにも位置する可能性がある。PTA新聞とSNSと一般紙を比較することで、改めて所属する共同体と情報の在り方について見えてくる。

 最後に。保護者に発信者としてのスキルが備わったからといって、紙面が考察不足、吟味不足で情報提示のみという側面に陥らないためには、労力や時間の短縮にも限度がある。構成するメンバーは、PTAの係とはいえ、その時間を子どもが通う学校のために拠出している。ありがたいと思うと同時に、PTA新聞があと何年現状のスタイルで続くか分からないが、一般紙にはできない子どもと保護者・教師をつなぐ大切な学校環境の創造者であるという自負と遊び心を持ち、楽しんで役割を担っていただきたい。