【濃姫遺髪塚】 岐阜と信長 縁結ぶ
ノブたび 岐阜ゆかりの人物編
織田信長公と岐阜、両者を結ぶ象徴といえば、斎藤道三の娘で信長公の正室「濃姫(のうひめ)」。岐阜市不動町の西野不動には、濃姫の遺髪が埋葬されたという言い伝えが残っているよ。
濃姫の死には諸説あって、結婚後病死したとも、信長公の死後30年は生きたともいわれているよ。西野不動の堂守(どうもり)をしている家系の中島和彦さん(81)=同市西野町=に聞くと、濃姫は本能寺で亡くなり、家臣が岐阜に遺髪を持ち帰り、城下を守る四天王の一つだった西野不動に埋葬した―と伝わっているのだそう。
境内は岐阜空襲で焼失したけど、遺髪塚は辛くも焼け残ったムクノキのそばに、戦後建てられたんだよ。
記録では、きょうだいに当たる斎藤義龍(よしたつ)の死後、義龍の妻が持っていたつぼを信長公がしつこく要求したとき、濃姫は自害をほのめかして強く抵抗したみたい。斎藤氏時代からの家臣の美濃衆を代表し、夫に毅然(きぜん)とした態度をとったんだね。
岐阜と信長公の縁を結んだ濃姫。この地で私たちを見守ってくれているといいな。う~ん、ぜひにおよばず☆
=おわり=