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岩村城 壮大な石垣群が残る東美濃の戦乱最前線



来城者を圧倒する山頂の壮大な石垣群。江戸期の藩主の城としては最高所にある山城で、日本城郭協会による「日本100名城」にも選ばれている=恵那市岩村町、岩村城跡(本社小型無人機より)
記者独断の5段階評価

難攻不落度

「枡形(ますがた)や馬出(うまだし)の防御機能を持ち、水も豊富」


遺構の残存度

「登城口から山全体に土塀跡や石垣群が残る」


見晴らし

「本丸跡周辺から、天気が良ければ恵那山も見える」


写真映え

「六段壁など山頂部の石垣群は迫力満点」


散策の気楽さ

「岩村歴史資料館横の登城口からは20分ほど。山頂にも駐車場あり」


 「日本三大山城」に数えられ、城郭ファンにも名高い岩村城(岐阜県恵那市岩村町)。階段状に積み上げられた山頂の石垣群は、その風格を漂わせている。

 信濃や三河の境界が迫る美濃の東端。急峻(きゅうしゅん)な城山に築かれ、姿や役割を変えながら明治の廃城令まで存在した長い歴史を持つ。遠山氏が治めた戦国期には武田と織田が激しい争奪戦を繰り広げた。1575年、織田信長の嫡男信忠が攻め落とし、その後は織田方の対武田「最前線」として機能した。

 遺構のほとんどは、関ケ原の戦い後に松平氏によって築城されて以降のもの。江戸中期の絵図によると、新たに整備された城郭には、複数の曲輪(くるわ)や櫓(やぐら)、門などが張り巡らされていた。

 見どころはやはり山全体に残る壮大な石垣遺構。登城口からは30年ほど前に石畳の道が整備され、歩きやすい。注目ポイントの一つは「追手門跡」。L字形に橋が架けられ、その先は「枡(ます)形」構造になっていた。石垣がその名残をとどめる。当時は三重櫓が立っており、城下町の本通りから正面に見上げることができたという。天守のなかった岩村城にとって象徴的な存在だったに違いない。

山城テスト2.jpg

山頂にも駐車場はあるが、山城のスケールを体感するには、麓の岩村歴史資料館から〝攻略〟するのがお勧めだ。所要時間は30分ほど

 標高約700メートルの山頂では巨大な石垣「六段壁」が来城者を出迎える。最初に築いた石垣を補強するうちに6段になったという。一番高い場所には本丸跡、階段状に櫓や曲輪の跡が広がる。複雑に入り組んだ石垣群を見上げると、積み方が異なる部分も多い。江戸期を通じて改修を重ねながら威容を残し、往時の面影や長い歴史の一端を伝えている。

岩村城3.jpg

【攻略の私点】弱点少ない要地の「壁」

恵那市教育委員会生涯学習課 三宅唯美さん

 岩村城は岩村藩主の居城として、建物は明治初期まで存在した。その特徴について、恵那市教育委員会生涯学習課の三宅唯美(ただよし)さん(60)に聞いた。

 敵が真っすぐ攻め入ることができない「枡形」や「馬出(うまだし)」の構造を備え、実戦を想定した城であったことがうかがえる。美濃と東国を結ぶ要地であり、関ケ原の戦い後に領主となったのは徳川譜代の松平家乗。築城時には、西国大名を江戸に侵攻させないための"壁"となる役目があったのではないか。城郭に防御上の弱点はほとんど見られず、攻めるとすれば「兵糧攻め」という選択肢が浮かぶ。

山城テスト2.jpg

頂上の石垣群。本丸跡へと続く門跡

 この城の最大の強みは、高所なのに水が豊富なこと。山頂付近には17の井戸があり、兵糧攻めにあっても水が尽きて降伏することはなさそうだ。

 織田と武田の争いのほか、小牧・長久手の戦いなどでも戦火に巻き込まれたが「落城」と言えるのは織田信忠による攻略くらいか。これは半年に及ぶ籠城の末の降伏であり、「力攻めでは誰も落とせなかった城」と言えるかもしれない。



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