【多治見駅】美濃焼、全国への出発点 販路開拓で利用した陶器商

2018年08月27日 09:19

発送する陶器の集荷場があった場所に立ち、当時を懐かしむ谷口津富さん=多治見市音羽町、市営駅西駐車場

発送する陶器の集荷場があった場所に立ち、当時を懐かしむ谷口津富さん=多治見市音羽町、市営駅西駐車場

 JR中央線の名古屋-多治見間が開通した1900年以降、美濃焼の輸送は鉄道が主流になった。多治見市の陶器商も列車に飛び乗り、全国各地に販路を開拓した時代。陶磁器卸販売の山喜(同市)の相談役谷口津富さん(84)=同市旭ケ丘=は「多治見駅を夜の6時半から7時に出発する列車に乗って、いろんな所に行ったな」と思い起こす。

 谷口さんは多治見工業高校を卒業後、父親が経営していた山喜に就職。55年ごろから、商品サンプルを入れた重さ20キロほどの革製かばん(通称・見本かばん)を担ぎ、夜行列車で12時間かけて九州へ行き、問屋や小売店を回った。1回の出張期間は2週間。ほぼ毎月出張する生活が20年ほど続いたという。

 当時の多治見駅は木造平屋の小さな駅舎。周りは街灯がある程度で「日が沈むと真っ暗だった」。若かりし頃の記憶は薄れてきたが、全国に発送する商品を集める集荷場が駅の西側にあったことは鮮明に覚えている。車力と呼ばれる人が荷車を引いて陶器を集めて集荷場に届けていた風景を浮かべながら「集荷場に行き、自分が売った器が貨物列車に積まれる様子を見るのがやりがいだった」と話す。

 集荷場だった場所は駐車場に変わった。数十年ぶりに足を運んだという谷口さんは「こんなに広かったかな」と笑う。「この駐車場も数年後の再開発でなくなるのだろう。当時の面影はないが、東濃の玄関口として立派な駅になったと思う」と大きな2階建ての駅舎を見上げた。

 岐阜新聞社は「地方創生~チカラは地から~」をテーマに、県内各地で移動編集局を展開している。第4弾は東濃5市の魅力を伝える。

 美濃焼、地歌舞伎、山城、地酒、そして近未来のリニア中央新幹線―。山々に囲まれた東濃地域は、豊かな自然が育んだ歴史や伝統、ものづくり、食が多彩な輝きを放ち、多様な文化が交差する「宝箱」だ。