多くの人が岐阜高島屋の思い出の場所に挙げた「バラの広場」=2000年、岐阜市日ノ出町

 来年7月の閉店が決まった岐阜高島屋(岐阜市日ノ出町)。発表以降、交流サイト(SNS)には県民らから撤退を惜しむ声が広がった。目立ったのは、それぞれの思い出話。LINE(ライン)で読者とつながる岐阜新聞の「あなた発!トクダネ取材班」(あなトク)に寄せられたメッセージの一部を紹介する。

 岐阜高島屋にまつわる思い出の場所として挙げる人が多かったのが、1階のレンガづくりの吹き抜け空間「バラの広場」。2005年に売り場に改装されたため無くなったが、多くの市民に親しまれた。

 岐阜市の自営業男性(40)は子どもの頃を振り返り「広場の特設ステージで子ども服のファッションショーがあり、自分も何回か出たことがある。初めて迷子になったのも岐阜高島屋」。同市の主婦(46)は「照明がやや暗めで少し怖い感じもあったが、何とも言えない高級な雰囲気だった」と寄せた。消防クリエーターとして活動する同市の男性(51)は「バラの広場で友人や家族と待ち合わせて高島屋に入ったり、そのまま柳ケ瀬の商店街に繰り出したりと楽しい思い出が残っている」と懐かしんだ。

 買い物にまつわる記憶も。同市の市職員女性(51)は「子ども服の福袋を手に入れるために家族総出で行列に並び、開店と同時に『エスカレーターより階段だ!』と7階まで駆け上がった。希望の福袋を手にすることはできなかったけれど、これもいい思い出」。恵那市の女性会社員(37)は「落ち着いて買い物できる、優雅な雰囲気が好きだった」。バラの花をあしらった包装紙への思い入れを語る人も。美濃加茂市の主婦(40)は「高級なイメージで憧れの店。お祝いの品が高島屋の時、祖母は包装紙も大事にしまっていた」。

 多くのメッセージに共通していたのは、百貨店で過ごすという特別感。瑞穂市の教諭棚橋淳子さんは「祖母によく子ども服を買ってもらって、これからは自分の娘にもと思っていた。閉店した後も出かけたくなるまちになってほしい」と望んだ。岐阜市の会社員藤井幸子さん(56)は「郊外の大型商業施設にはない雰囲気と品ぞろえで、なじみの店員さんとのおしゃべりも楽しみだった」。各務原市の女子学生(26)は「姉とよく化粧品を買いに行った。百貨店に直接行って買いたいものがある人も多くいると思うのに、岐阜の街から消えてしまうことが残念」と惜しんだ。

 岐阜市の女性会社員(34)は「子どもの頃、映画を見に行くとなると柳ケ瀬だった。映画を見て高島屋のラーメン屋に寄り、買い物して帰るのが定番ルートだった」と振り返り、「最後の思い出を、今度は自分の子どもとつくりたい。御座候(回転焼き)の買いだめをしたい」と寄せた。