岐阜の街角で、ホームレスをあまり見かけなくなった。かつては駅周辺や橋の近くで暮らす人の姿が、寒空の下にも確かにあった。

 数字の上でも減っている。厚生労働省の昨年の調査によると、県内にはわずか3人。最多は2003年の86人で、徐々に減って17年には10人を割り込むようになった。商店街のアーケードで雨露をしのぎ、段ボールを寝床にしていた人たち-。彼らはどこへ行ったのか。

 ホームレスの支援に当たってきた「岐阜・野宿生活者支援の会」(岐阜市)事務局の清水由子さん(63)も「かつてに比べて路上にいる人は確かに減った」と語るが、「今も生活に困っている人はいる。ただ、その人が支援を求めているかが見えにくくなった」と指摘する。

 支援の会は、キリスト教プロテスタントの牧師らが1999年に立ち上げ、市内に点在する路上生活者の居場所を、おにぎりや軍手などを抱えて訪ねる「夜回り」からスタートした。

 岐阜市の金公園で月1~3回、炊き出しをして列をつくる50人前後の人の連絡先を尋ね、継続的な支援につなげた。「2009年ごろまでは多く、JR岐阜駅周辺や柳ケ瀬に段ボールの上で震えている人たちがいた。朝、段ボールだけが残り、夜になるとまた戻ってくる」。だが、列に加わる人の数は年々減り、炊き出しの頻度も減少していった。

 中部学院大の柴田純一教授(公的扶助論)はホームレスが減少した全国的な傾向に、民間の支援団体によって生活保護の受給者が増え、以前よりは住まいを確保できる人が増えたことを挙げる。一方で、「支援」にもさまざまな形がある。「生活保護を受給している人を使って金もうけをする人が増えた。いわゆる『貧困ビジネス』です」

 柴田教授が指すのは、受給した保護費を徴収し、簡易住居を貸し付ける施設「無料低額宿泊所」のことだ。保護費が振り込まれる預金口座を施設が預かって過大な利用料を払わせたり、料金に見合わない狭い居室に住ませたりしていたことが、各地で問題になってきた。

 国は18年、省令で設置基準を設け、金銭を利用者本人が管理することや、部屋の広さなどを規定。だが強制力はなく、今なお環境改善ができない施設があるという指摘もある。岐阜協立大の高木博史教授(社会福祉学)は「行政も指導ぐらいしかできない。専門職が付いて記録を取るなど施設に支援体制が築かれなければ、生活保護が目的とする『自立の助長』にはつながらない」と懸念する。

 清水さんにも心当たりがある。「一度は無料低額宿泊所へ連れて行かれ、そこから逃げてきたという人によく出会う。でも、元いた場所に戻るのでなく、違う地域へ移っていくケースが多いようです」。居場所を探して、彼らはどこへ向かうのか。支援の手が届かない歯がゆさを感じている。

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 地域社会であまり見かけなくなったホームレス。当事者や支援に当たる人らの姿を捉えながら、困窮や孤独・孤立対策の在り方を考える。

 【ホームレスの人数】 ホームレス自立支援法に基づき、厚生労働省が毎年、全国の人数を調査、公表している。2003年の2万5296人以降、減少傾向が続いている。23年は3065人(前年比383人減)で、都道府県別で最多は大阪府の888人だった。調査対象は都市公園や河川敷などで日常生活を営んでいる人。住居が無くインターネットカフェに泊まる「ネットカフェ難民」、車中泊といった潜在的なホームレス状態の人は数に含まれないため、支援者からは「実態を反映していない」との指摘がある。


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山田俊介(やまだ・しゅんすけ)2012年入社。岐阜市政担当、司法担当、県警担当を経て、23年10月から本社遊軍。精神疾患の当事者らと向き合う「ドキュメント警察官通報」など、福祉分野の連載を手掛けてきた。1児の父。岐阜市出身。
柴田洋希(しばた・ひろき)2019年入社。西濃支社、揖斐支局を経て、23年6月から本社報道部。警察取材を担い、10月から司法も担当。岐阜県内で発生する事件、事故、裁判を追ったり、追われたりの日々を送っている。愛知県江南市出身。
榊原あやな(さかきばら・あやな)2023年入社。本社遊軍を経て、警察担当。岐阜県各務原市出身。
市原萌子(いちはら・もえこ)2023年入社。本社遊軍を経て、ひだ高山総局勤務。岐阜県瑞穂市出身。