岐阜県瑞穂市南部の五六(ごろく)川左岸にあり、旧穂積町時代は野白新田(のばくしんでん)の字(あざ)でした。

 「扣」は現代表記では「控」。文字通り「控えの畑」があったとされています。五六川沿いは低湿地が多く、かつては風水害に悩まされてきた地域です。当地は川の自然堤防部分にある微高地ですから、低地が冠水して作物が取れなくて困った時にも、わずかな作物が取れる頼みの地だったと推測されるそうです。

 なお、野白新田の歴史はユニークです。当初は野畠新田とするところを、「畠」の文字を「白」と「田」に分解して、下部分の「田」を略しました。下略読みというそうです。

 さらに、隣接する野田新田との歴史も曲折があります。明治22年に両地が合併した際、野白と野田の「白」と「田」を合わせて「野畠(のばた)村」としましたが、明治30年には再び野白新田と野田新田に戻りました。

(丸山幸太郎編集「地名が語る ふるさと穂積」などを参照)

【答え】ひかえばた