話題を呼んだ「風の電話」の記事と絵本
震災の記録などを掲載した冊子

山県市立高富中教諭 原田結花

 岩手県大槌町に、電話線のつながっていない「風の電話」と呼ばれる電話ボックスがある。東日本大震災による死者と遺族の思いをつなごうと、地元のガーデンデザイナーが設置。「風の電話は心で話します...」というメッセージとともに、黒電話が置かれている。写真の新聞記事は、震災から3年後の3月22日の岐阜新聞に掲載されたものです。絵本「かぜのでんわ」も発刊されたことを知り、その本とともに、毎年3月には子どもたちに読み聞かせています。先日、この「かぜのでんわ」が映画となり、早速見てきました。

 震災から今年で9年。震災孤児の主人公が、広島からふるさと岩手にヒッチハイクで帰るその間の出来事に、今、日本が抱えている問題を垣間見ることができました。まず、震災のその後です。福島の道路脇の田畑には、数え切れない黒い除染廃棄物の袋がありました。背丈より高く伸びた草の中にある家。広げっぱなしのお絵かきがあり、急いで逃げたと思われました。その他、クルド人の方々への差別、入国管理、難民の問題などもありました。

 時がたつと忘れてしまうことや、知らないことは自分に関係ないと見過ごしてきた場面に、目頭が熱くなりました。知ることは考えることですよね。3月には震災の記事も掲載されます。再度考える機会としてくださいね。

 その映画の中で、私が特に心に残った言葉は、除染された村に帰った老人の話。「福島の学校から違うとこの学校に行ったら、放射能ってうつるんですかって言われ、子どもがいじめられた」という場面。このせりふは重いと感じました。ふるさとから泣く泣く移ってみえた方たちに、このような仕打ちは怒りです。

 さて、新聞の話に戻りましょう。1月後半から、新型コロナウイルスの記事が毎日載るようになりました。新聞部の皆さんで、日々移り変わる記事を掲示しています。事実も刻々と変わります。正しい情報でもって考え、そして語り合っていきたいからです。2月18日の記事では、今まで出てこなかった受診や相談の目安が、1面に載っています。また各種イベントの中止が発表されています。これからも、記事は更新され、終息に向かうまで目が離せません。

 私は、ここで「福島のいじめ」のようなことが起きてはいけないと感じています。治癒された方たちや旅先などから帰宅された方たちとその家族が、安心して普通の生活に戻ることができるよう応援していくのも大切なことですよね。

 新聞やテレビでは、中国からチャーター機で帰国した人たちが滞在していた千葉県勝浦市のホテルで、地域の方々が励ましの言葉を砂浜に書いたとか、励ましの横断幕で見送ったとか報道されました。私は、子どもたちと共に、正しい情報で考え、人権感覚を研ぎ澄まさなければと思います。