和田孝平さん(左)から養殖を継ぐ西川弘祐さんが餌をまくと、無数のアマゴが跳びはねた=今月13日、郡上市明宝寒水
アマゴ養殖を引き継いだ和田孝平さん(右)と西川弘祐さん=今月13日、郡上市明宝寒水、かのみずあまご園
寒水産の養殖アマゴを使った(上から)魚田、甘露煮、塩焼き=郡上市八幡町旭、きく本

 山間にひっそり建つ「奥の宮」のほこらの上流から、集落へと流れる長良川支流の寒水(かのみず)川。その名の通り、雪解けの頃はひときわ冷たい。川水を引く養殖場で餌がまかれると、跳びはねたアマゴの朱点が春の光に輝いた。

 「水の冷たさ、寒さは今も慣れないですね」とアマゴ養殖場「かのみずあまご園」(郡上市明宝寒水)の西川弘祐さんは苦笑する。4年前、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産「寒水の掛踊(かけおどり)」で知られるこの地に移住した。

 

 埼玉県出身の31歳。IT関連の営業職を経て「自然の中で働きたい」とふるさと回帰支援センター(東京)を訪れた。イメージしたのは、釣りで来たことがある下呂市の養殖場。岐阜県の担当者からたまたま別の養殖場が後継者を探していると聞き、「運命だ」と即決した。

 迎え入れた和田孝平さん(70)は、22歳から半世紀近く一人で養殖業を営み、稚魚を含め年間50万匹を出荷する。「アマゴは難しいんや」。始めてすぐ、感染症「IHN」(伝染性造血器壊死(えし)症)で稚魚の95%を失っている。

 当時は薬がなく、なすすべがなかった。消毒を学び、密度を調整して魚のストレスを減らすなど工夫を重ねるうち、魚にも耐性がついた。10年かかった。「克服するのは大変やった」

 好景気の時は岐阜市の中央卸売市場に月1トンを運んだが、コロナ禍では市場向けが落ち込んだ。昨今は海外の養殖の増加に伴う餌の魚粉の高騰に悩む。同業者は高齢化が進み、和田さんが始めた当時、旧明方村に12軒あった生産組合の養殖業者は2軒を残すのみになった。

 加えて、昨年公表された「ふ化放流は長期的に魚を減らす」という論文は業界に波紋を広げた。「あまご園」の出荷の柱は放流用。昭和30年代、車で釣り客が来るようになって魚が消えた川を知るだけに和田さんは「釣り客がいる以上、自然に増える分では賄えない」と考える。

 こうした逆境下でも手塩にかけた「ヒレピン」への注文は途切れない。事業をつなぐため、採卵や餌やり、選別と培ったノウハウを惜しげもなく伝えてきた。もどかしさがあっても、「彼は根が真面目だから」と温かく見守る。

 昨夏の出荷分から、西川さんが全工程を手がけた魚に切り替わった。「この前、『いい魚だな』って言われて。うれしかった」。昨年の掛踊にも参加した後継者は、少しずつ手応えを感じている。