首から上の病気平癒や学業成就などにご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れる「御首神社」=大垣市荒尾町
御首神社について紹介する権禰宜大島洋紀さん=同
首を矢が貫くようなデザインの絵馬=同
平将門伝説にちなんだ南宮大社の「大的神事」=今年2月、不破郡垂井町(南宮大社提供)
隼人神の射た矢の道筋として、大垣市西部には「矢道町」という地名が残る

 岐阜県大垣市荒尾町に鎮座する「御首(みくび)神社」は、平安中期の武将・平将門を祭っている。その由来は約千年前、朝廷への反乱を起こして敗れた将門の首にまつわる。京都から故郷の関東へ戻ろうと飛んでいた“将門の生首”を、南宮大社(不破郡垂井町)の隼人神(はやとがみ)が射落としたという伝説だ。

 平将門は桓武天皇の血筋を引く高貴な家柄で、関東に強い影響力を持った。939年、朝廷との対立をきっかけに「新皇」を名乗って関東の独立を宣言。翌年、朝廷が派遣した討伐軍との戦に敗れ、討ち死にした。

 首は都へ運ばれ、さらされた。すると「目を見開き、体を求めて東の方角へ飛び立った」―。将門の首にまつわる怪奇談は「平治物語」「太平記」にも登場し、江戸期には錦絵や読み物、歌舞伎の題材として民衆の関心を集めた。菅原道真、崇徳天皇とともに「日本三大怨霊」伝説となっている。将門の首が飛来した地として、東京・大手町にある「将門塚」をはじめ複数の伝承が残る。

 御首神社もその一つ。権禰宜(ごんねぎ)大島洋紀さん(45)によると、神社創建のいわれはこうだ。首が飛ぶという異変を受け、美濃の南宮大社では、再び乱が起こることを恐れて祈願が行われた。東に飛び行く将門の首を隼人神が矢竹で射ると「荒尾」に落ちた。その首が再び関東に戻ろうとしないよう、将門公の怒りを鎮め、御霊(みたま)を弔うために社が建てられたと伝わる。

 「首から上に御利益がある」として、病気平癒や学業成就、合格祈願で全国から参拝者が訪れる。「最近は認知症予防の祈願に来られる方も増えている」と大島さん。自身の身代わりとして帽子やスカーフを奉納する参拝者も多く、毎年2月の浄火祭でたき上げて祈願するという。鳥居近くの絵馬堂には、浄火祭を終えたばかりの3月にもかかわらず、すでにたくさんのハットやキャップなどが掛かっていた。

 拝殿前に掛けられた絵馬には「志望校合格」「頭痛が治りますように」といった願い事がずらり。「首」の文字に矢が貫いているようなデザインは、なかなかのインパクト。

 拝殿には「御首大神」の黄金の大きな文字が目を引く。無念の死を遂げた将門は、首だけになってもなお人々から恐れられ、伝説として生き続けている。

アクセス:東海環状自動車道、大垣西インターチェンジから車で5分弱 JR荒尾駅すぐ横

  概要:神社

※名前、年代、場所などは諸説あります。