今年の夏の高校野球、第104回全国高校野球選手権大会は、宮城代表の仙台育英が東北勢初の全国制覇を成し遂げ、深紅の大優勝旗が「白河の関」を越えた。

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 白河の関は、関東と東北の境、現在の福島県白河市にあった関所だが、関所といえば岐阜県には、天下分け目の関ケ原に「不破の関」があった。東西をつないだ古代の街道・東山道の関所で、ここを境に東を関東、西を関西と呼ぶようになったという。今でも、東日本と西日本を分ける目安になっており、近くを東海道新幹線や東海道本線、名神高速道路といった日本の大動脈が走る交通の要衝だ。

天下分け目の関ケ原にある「不破の関跡」=不破郡関ケ原町松尾

 では、夏の高校野球の歴史の中で、優勝旗が初めて不破の関を越えたのは? 戦前の1915(大正4)年の第1回大会から優勝校を順に見ていくと、早くも第2回大会で東京(関東)の慶応普通部が優勝。不破の関を優勝旗が越えていた。

 

歴史が記された「不破の関跡」の説明板

 さらに、米騒動と太平洋戦争、コロナ禍の3度の中止をのぞく101回の中で、優勝旗が不破の関を越えたのは39回(三重県の1回を含む)。つまり、これは東日本勢の優勝が39回で、残りの62回が西日本勢の優勝といえるわけだが、東西で差が開いているのは、甲子園からの距離や冬の雪の影響か。

 

「不破の関跡」周辺の地図。近くを東海道新幹線や東海道本線、名神高速道路が走る(地理院地図より)

 県別では、東日本は愛知や神奈川の優勝が多く、西日本は大阪を中心とした近畿勢や広島、愛媛が目立つ。不破の関に視点を置くと、そこを通らない北陸を西日本にするか、東日本にするか扱いが難しいが、北陸勢は、まだ夏の優勝がない。

 ちなみに、岐阜に夏の優勝旗がもたらされたのは1936(昭和11)年の第22回大会で、今の県岐阜商が9―1で京都の平安(現・龍谷大平安)を破って優勝した1回のみ。

県岐阜商が準優勝となった第38回大会決勝の試合結果を報じる岐阜タイムス(1956年8月21日付)

 最後に岐阜勢が決勝に進んだのは1956(同31)年の第38回大会で、再び県岐阜商と平安の決勝だった。県岐阜商は、得意の変化球「ドロップ」で平安打線に挑んだが、2―3で惜敗し、準優勝。決勝翌日の岐阜新聞(当時は岐阜タイムス)は、こう甲子園からリポートした(一部抜粋、原文ママ)。

 「若い情熱をぶちまけて力一パイ戦ったわれら郷土の代表岐商ナインは、ついに敢闘むなしく平安高の軍門に降った」

 「平安高が球場を一周する間、岐商選手は三塁側ベンチの前へ整列して礼儀正しく拍手を送り、最後まで立派な態度を崩さなかった。〝来年また来いや〟とスタンドのファンが声をかぎりに呼びかけるうちに岐商ナインはもくもくと球場を去った」

 「宿舎へ引揚げた選手の落たんぶりは人々の同情をかったが、先輩たちの慰さめの言葉に〝来年はきっとこのかたきを打ちますよ〟と強くこたえていた」

 あれから66年。まだ、その敵(かたき)を討てていない岐阜勢。今年は、岐阜代表の県岐阜商がコロナ禍の中、イレギュラーな対応を強いられたが、また来年、38回大会以来の優勝旗を目指し、岐阜勢が熱闘を繰り広げる。

 

瀬戸覚旨(せと・さとし) 地理・地図帳の教科書出版社、新幹線の経済誌などを経て、2014年12月中途入社。西濃支社、中津川支局、生活文化部、現在は本社報道部。埼玉県出身。浦和レッズの熱狂的サポーター。