岐阜県関市小屋名の県百年公園内の県博物館前に設置された日時計のモニュメント。碑には「棚橋源太郎」の名前が刻まれている。本巣郡北方町出身で、教員や各地の博物館長を歴任し「博物館育ての親」と呼ばれる人物だ。日本博物館協会が優れた研究に贈る「棚橋賞」は、棚橋の功績に由来する。経歴を調べると、博物館の世界にとどまらず、理科教育や生活習慣の近代化にも大きな影響を残していたことが分かった。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」「岐阜県が生んだ偉人。今日の博物館があるのは、棚橋先生のおかげ」。県博物館の山田昭彦学芸部長は棚橋の功績を語る。
棚橋は1869年に生まれた。岐阜県の教員、東京高等師範学校教授などを経て、東京教育博物館(現国立科学博物館)、東京博物館、赤十字博物館の館長を務めた。海外留学で得た知見から教育教材としての博物館の必要性を訴え、生涯かけて博物館の立ち上げや運営に情熱を注いだ。博物館法の制定にも関わった。1959年には国際博物館会議(ICOM)から世界で3人目の名誉会員に推挙された。
棚橋の研究の第一人者で、元県博物館自然係長の宮崎惇さん(故人)の執筆した書籍「棚橋源太郎~博物館にかけた生涯~」には、生い立ちや功績が詳細に記されている。
テーマごとに開く企画展覧会は、棚橋が始めたといわれている。16年には、当時流行したコレラの企画展覧会を開催。「テーマや期間を決めた企画展は国内で初めてだった」と山田部長。特定施設だけでの催しにとどまらず、地方への展示品の貸し出しや関連本の出版といったことも手掛け、現在の企画展の基礎を築いた。
今では当たり前の理科授業の実験も棚橋が考案した。ドイツ留学を経て、教科書中心だった授業に生徒による実験を取り入れた。棚橋の企画展を2年前に開催した美濃加茂市民ミュージアムの学芸員西尾円さんは「学校の先生をしていた経験から、どうしたら皆さんに分かってもらえるかという視点を持っていたのだろう」と推測する。
20年には生活改善同盟会を立ち上げ、服装や冠婚葬祭、公衆作法などについて先頭に立って国民に改善を呼び掛けた。「時間を守り合うこと」も規約に入れ、6月10日を「時の記念日」と制定するため尽力した。後の記念日づくりのはしりといわれる。また、コロナ禍で注目される手洗い、うがいの習慣も棚橋が根付かせたといわれている。
何事にも合理主義だった棚橋の人柄を示すエピソードがある。戦時中、中学生だった棚橋の孫の泰(やすし)さん(88)が住んでいた横浜の家を訪問。周辺をくまなく調査し、どの道をたどって避難すべきか正確に指示して帰った。数日後の横浜空襲で、1人で留守番していた泰さんは火が迫る中で指示通りに逃げて無事だったという。
泰さんが執筆した経済団体の会報紙には、祖父について「欧米での生活を経験した身にしてみれば、明治、大正期のわが国の因習にとらわれた非科学的な生活が、いかに国の発展、国民生活の向上を妨げていたかを痛感したに違いない」と記している。
戦後は、90歳まで立教大の教壇に立ち、61年に91歳で亡くなった。自宅の庭には岐阜の富有柿が植わり、言葉は岐阜なまりが生涯抜けなかったという。
県博物館前の日時計は、時の記念日制定にちなみ、棚橋の顕彰・研究会が93年に設置した。天気の良い日には、静かに時を示している。山田部長は「これほどの功績がありながら世間に知られていない。もっと多くの人に知ってほしい」と力を込める。













