「花フェスタはまだ開催していますか」-。9日から名称を変更した「ぎふワールド・ローズガーデン」(岐阜県可児市瀬田)の荻原昌士所長(48)は「イベントと勘違いされているのか、時々こんな問い合わせがあります」と苦笑いする。長年親しまれてきたが、少々紛らわしい旧名称「花フェスタ記念公園」。そもそも、どのような経緯をたどってこの名前が付いたのか。過去の記録をひも解いた。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」1995年4月26日、この場所で大規模な花の博覧会が開幕した。花フェスタ'95。正式には「国際花と緑の博覧会5周年記念 花の都ぎふ・花フェスタ'95」という少し長い名称だ。会場は県営可児公園。花フェスタ記念公園の"前身"だ。
40日間で191万5657人を迎え入れ、プレスセンターにはマスコミ各社が常駐する大イベントだった。単純比較はできないが、2016年度のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(大阪市)の入場者数が1460万人で、1日の平均入場者数が匹敵していることから、そのにぎわいぶりが何となく想像できる。
花フェスタ'95実行委員会発行の公式記録によると、開催のきっかけは1990年4月1日から9月30日まで大阪市で開かれた「国際花と緑の博覧会(花の万博)」。これを契機に、岐阜県は「花の都ぎふ」運動を始め、梶原拓知事(当時)が花と緑の祭典を開く構想を打ち出した。県は91年に「花イベント研究会」を発足させ、翌年、この研究会が「花フェスタ'95基本構想・基本計画委員会」に改組した。
公式記録には開催までの流れは記されているが、「花フェスタ」という名前が誕生した経緯には触れられていない。これについて95年当時の県幹部は、梶原知事が、国際花と緑の博覧会記念協会との共催だが、花の万博とは違うネーミングが必要として、「花の祭典」という意味の「花フェスタ」と命名したと明かす。
花フェスタ'95が閉幕して約10カ月後の96年4月26日、再整備された可児公園は、県営の都市公園「花フェスタ記念公園」としてオープン。イベントの中核施設「花の地球館」「花のタワー」「花トピア」、皇后さまのご成婚を記念した「プリンセスホール雅(みやび)」は現在も残っている。以降、「花フェスタ」は規模こそ縮小しながらも2005年、2015年と、10年ごとに開催している。
花フェスタ'95で植栽を担うグループのリーダーだった阿部容子さん(63)=多治見市=は、当時について「花をまともに見ることができないほどの人出だった」と振り返る。連日の渋滞で、開園前に行うメンテナンスの時間までに会場入りできないため、帰宅を諦めて施設に泊まり込むことも多かった。
これだけの人気を博したイベントだが、開幕直前で中止になる可能性もあった。95年1月17日に発生した阪神淡路大震災。全国ではイベントの自粛が相次いだ。花フェスタも開催可否が議論になり、阿部さんも関係者から意見を求められた。荻原所長は「もし中止になっていたら、今も可児公園という名称のままだったかもしれない」と話す。
阿部さんは、「花フェスタ記念公園」になってからも、スタッフとして7年間ガーデンデザインに携わった。名称が変わったことについて「寂しさもあるけれど、花フェスタ記念公園という名前が、本当にこの場所の魅力を言い表しているのかという思いも持っていた。これからは若い人が公園の新たな歴史をつくってくれる」と話す。時代の流れだと理解しているが、それでも消えないのは名称への愛着。「私の仲間は、これからもずっと『花フェス公園』って呼ぶんだろうな」













