本丸から北アルプスを望む松倉城。内応で落城し、三木時代が終えんしたと伝わる=高山市松倉町城山

 金森軍は養子可重が8月16日から松倉城攻めを開始(飛騨編年史要)。自綱の妹婿が居住する山下城(高山市一之宮町)を落とした長近軍も加わった。

 松倉城の高石垣建造には三木氏か金森氏かの説があるが、谷口研語さんは「飛騨三木一族」の中で「現存遺構すべてが自綱時代のものでないにしても、飛騨の中心高山盆地に最新式の城郭を築いたことは確かであろう」と記述し、攻めるに難しい城であったことは想像できる。

 守るのは自綱の子秀綱。だが、松倉城決戦の詳細についての1次史料はなく、後世に書かれた軍記物が伝えるだけだ。

 「飛騨国治乱記」はじめ多くの軍記物に収録される有名な一騎討ちがある。...