戦国飛騨の最終覇者となった金森長近の銅像=高山市城山、城山公園

 三木氏を飛騨から駆逐した金森長近だったが、三澤の反乱をはじめ完全に飛騨全域を支配していたわけではなかった。

 学芸員で安国寺住職の堀祥岳さん=高山市国府町西門前=によると「石徹白長澄に宛てた1585(天正13)年9月3日の長近書状から、飛騨に残った家臣が乱暴狼藉(ろうぜき)を働くことを禁止し、一方で国衆という各地の有力者による抵抗を懸念していた様子が読み取れる」という。

 「小池・二村由緒書」に「飛騨国中の異名取り候面々別心つかまつり、長近公御猶予長屋喜蔵殿を討ちたてまつり、松倉の前城主三木の連族を取り立つべき旨国中廻文し候」とあり、「異名衆として特権を得ていた有力者たちが抵抗を示したことが分かる」と堀さんはみる。...