岐阜県本巣郡北方町柱本池之頭の「夕べが池自然公園」に伝わる昔話がある。「この辺りは土地が低く、田植えをするには水がたまりやすくて大変だった。ある農夫はこうつぶやいた。『田んぼが池にでもなってしまったら田植えをしなくてもすむのに…』。次の日来てみると、なんと田んぼは池になっていた。一晩でできたので『夕べが池』と呼ばれるようになった」
夕べが池には、「魔法の泉」のような話の続きがある。たくさんの人で食事をする時におわんが足りず、池にお願いしたところ、次の朝には用意してあった。目が病気の時には、池の水で洗うと治ったとの言い伝えも残されている。
この夕べが池から北に約600メートルほど。イオンタウン(千葉市)の複合施設が同町曲路(すじかい)地区で建設途上にある。商業施設に加え、全国のイオンタウンでも初となるサッカーのフルコートやゴーカート、芝生公園なども備えた、まさに「魔法の泉」のように「何でも手に入る」施設になるだろう。かつて田畑だった場所は、そんな風に変わりつつある。
賃貸住宅建設大手の大東建託(東京)の「街の住みここちランキング」で、北方町は3年連続の県内1位を獲得した。戸部哲哉町長(67)は言う。「住みここちの良さの1番の理由はやはり不満がないこと。歩ける距離に医者や歯医者、ドラッグストア、商業施設がそろっている」
◆県内で一番小さな町
北方町の面積は5・18平方キロメートルで、県内42市町村の中で最も小さい自治体である。人口は現在約1万8600人で、人口密度は県内トップを誇る。都市公園は19カ所、自然公園は5カ所あり、憩いの場も多い。戸部町長は「端から端まで住民の顔が見える。声が聞こえる。例えばカーブミラー一つにしても『付けてください』という要望をすぐに聞いてあげられる」と胸を張る。
現在のような住宅都市になる以前、江戸時代から昭和中頃まで、北方町は商店街と田園の町だった。江戸期は西美濃で岐阜、大垣に次ぐ第3の商都として栄えた。昭和中頃まで商店街は本巣郡内でも屈指のにぎわいで、本屋や酒屋、映画館、劇場まであった。当時を知る人からは「子どもの頃、北方は都会やし、遊んじゃうから行っちゃあかんよと言われていた」「北から南までびっしり店が並び、車で抜けるのに1時間以上かかった」と、活気を懐かしむ声も聞かれる。
人口が増え始めたのは昭和40年代ごろからで、町が区画整理事業に着手したことが大きかった。1970年時点では1万855人だったが、50年後の2020年には1万8459人まで増えた。半世紀でおよそ7割増加した計算だ。隣接する岐阜市のベッドタウンでもあり、この区画整理によって良好な住宅が集まる「コンパクトシティー」が形成されていった。
平成に入ると、商店街の町は、変化を見せてくる。1996年にはアピタ北方店、2006年には北隣の本巣市にモレラ岐阜と、郊外に大型商業施設が誕生し、商店街にかつてのようなにぎわいはなくなった。
近隣に大型商業施設ができたことで、人口はさらに増加し、町の周縁部にあった田んぼは姿を消し、住宅やアパートができた。岐阜市や名古屋圏まで通勤圏内になることから、今は「サラリーマンの街」としての様相になった。
◆菓子に田園の記憶
かつての田園が広がっていた頃の記憶を思い起こさせるお菓子が町に残っている。「みょうがぼち」だ。6~9月ごろの田植えから稲刈りの時期までに作られる季節のお菓子で、町の名物の一つと言える。
ソラマメのあんを小麦で練った生地に包み、ミョウガの葉で巻き、蒸して作る和菓子で、かつては農作業の休憩時におなかを満たすためのおやつだったと伝わる。ミョウガの葉の香りと素朴な甘さが、味わい深い一品で、少なくとも明治期以前には食べられていたという。
創業100年近くの和菓子店「とよだや」は季節になると、みょうがぼちを看板商品として作り続けている。代表の豊田喜美治さん(54)は「昭和40年ごろ、父の代から商品として作り始めた。当時は買ってもらえるのか不安もあったようだが、今でも思い出の味を楽しみにしてくれるお客さんがいる」と明かす。
県内屈指の住宅都市へと姿を変えた町で、みょうがぼちが今でも愛されていることをどんな風に考えてみたらいいだろうか。買い物や交通の便で住みよい町は、脈々と受け継がれた歴史と新しい住民が融合する場所になった。住みよさを感じられるのはもちろん便利さもあるが、思い出を大事にできるような、素朴で優しい町民の気質も魅力につながっているのだろう。


















