被爆体験や核廃絶を巡る現状について話す岐朋会の加田弘子会長=岐阜市内

 広島と長崎に原爆が投下されてから76年。今年1月、核兵器の使用や保有を全面禁止する核兵器禁止条約が発効した。7月には、原爆投下後の放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた広島市の住民ら原告84人全員を被爆者と認めた判決も確定した。国内外で、核廃絶や被爆者救済に向けて大きな一歩を踏み出した今年、岐阜県原爆被爆者の会「岐朋会」の会長を務める加田弘子さん(85)=可児市桜ケ丘=に、核兵器を巡る現状や直面する課題を聞いた。

グーグル検索で岐阜新聞デジタルを優先表示!便利機能で岐阜のニュースをチェック

 ―自身の被爆体験は。

 大阪市出身。父親の転勤で1943年夏から広島県安佐郡祇園町(現在の広島市安佐南区)で暮らしていた。被爆当時は9歳。爆心地から約4キロの場所にあった国民小学校にいて、朝の草むしりの時間だった。われ先にと校庭へ1人で出たとき、オレンジの光に何事?と思った瞬間、ガラスが割れる音や先生の叫び声がした。急いで2階の教室に戻ると、室内はぐちゃぐちゃで、空には不気味なきのこ雲が見えた。

 より爆心地に近い家へ兄と急いで帰ると、三角形に割れた窓ガラスが、壁やふすまに無数に突き刺さっていた。やがて黒い雨が降ってきて、白いブラウスが黒く染まった。両手にためた雨水に何か沈んでいるのを見て「灰かな」と思った。

 国道に近い家の前では、皮膚の垂れ下がった幽霊のような人たちが「水を飲みたい」とさまよい、「避難所はどこですか」と列になってぞろぞろと歩いていく。軒先にござや座布団を敷いて休ませたり、断水していたため地下水をくんで飲ませたりした。

 夕方、兵隊がおでこと指にやけどを負った2歳くらいの男の子を連れてきた。市内で亡くなった母親から託されたと言い、うちで預かってもらえないかとのことだった。「まーちゃん」と呼んだその子は、2階の8畳間をいつも泣きわめいて転げ回っていて、約2週間後に死んでしまった。

 市内から逃げてきた女学生も4人くらい自宅に住まわせていた。彼女たちからはなんともいえない臭いがして、うちにたどり着くまでに、建物の窓から逃げようとしてぶら下がったままの死体や、道ばたに転がる死体など、多くの死体を見たと聞いた。けがはしていなかった彼女たちも、全員が早々に亡くなった。

 避難所となっていた青年学校では、皮膚の焼けただれた人たちがむしろにぎっしりと寝させられ、その体にはハエやウジがたかっていた。異臭の中、周囲の人が箸で皮膚に植え付けられたハエの卵やウジを取り除いていて、思わず兄にすがりつき、わんわんと泣いた。

 死体を運ぶトラックを何台も見た。荷台から飛び出た手足がぶらぶらと揺れていて、最初は人形を運んでいるのかと思った。それが死体と知ったときは、怖くて仕方なかった。

 15日正午、自宅のラジオで玉音放送を聞いた。正座して聞き入っていた大人たちは大きなため息をつき、母親は「戦争は終わったよ。今夜から安心して寝られるよ」と笑った。翌日からは毎日の空襲警報や教育勅語の唱和、灯火管制もなくなった。消火訓練に使っていた水を含ませた重いわらも「いらないね」と言って捨てた。

―被爆から76年。世界の動きをどう見るか。

 核兵器禁止条約を、唯一の被爆国である日本が、米国の「核の傘」に依存して批准しないのは理解できない。日本が保有国と非保有国との橋渡しを担うというのなら、なおさら批准すべきだ。批准を求める署名を募り、諦めずに政府へ働き掛ける。条約が実行力を持つには、途方もなく長い時間がかかるだろうが、平和は歩いてこない。こちらから歩み寄っていかなければならない。

―黒い雨訴訟の判決確定を受けては。

 76年たってやっとか、という思い。今も被爆者健康手帳を何度申請してももらえない知人がいる。同級生同士でも、手帳を持っているかどうかの話題はタブー。道を一つ隔てただけで手帳をもらえない安易な分け方は、改めてほしい。判決を受けて、もらえる可能性がさらに広がればいいが、今も不安を抱えて生活している申請者は高齢化が進み、あと何年生きられるか分からない。被爆者の援護施策の対象拡大は急務だ。

―岐朋会の現状は。

 1991年に県内の被爆者により設立された会。現在の会員は約100人で、被爆2世やその家族も含む。発足当時の会員は300人ほどいた。写真展やパネル展、原爆死没者の慰霊祭などを行っており、これまでに会員の証言をまとめた書籍「鎮魂の叫び 21世紀への伝言」など4冊を出版した。

―課題は。

 被爆者の高齢化が最大の課題。あと10年たったら被爆者はいなくなる。「再び被爆者をつくるな」という私たちの一番の願いは、核兵器が存在する限り消えない。活動の担い手として2世や若い人たちの力を借りて、次世代へ引き継ぎたい。76年の月日がたち、被爆者の願いを知る人は少なく、だから原発もなくならないのだろう。風化にあらがい、戦争を知らない若者にも何かは響くと信じて、2世の力を借りながら、広く平和への思いを訴えたい。平和の祭典とされる「オリンピック」が開催されている。「平和」という言葉の意味を、それぞれがしっかりと考えてほしい。