たつけ。第12回地域再生大賞の準大賞を受賞した石徹白洋品店(岐阜県郡上市白鳥町石徹白)は、消えかけていたこの野良着を復活させ、世に送り出している。服を通して先人の考え方や文化を学び、さらには過疎の山村に人を呼び込む。店を営む平野馨生里さん(40)は「たつけは、日本の和服の集大成とも言えるズボン。多くの人にその存在を知ってもらえたら」と話す。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」標高約700メートル。白山登山口に広がる石徹白でたつけは作られ、着られてきた。ズボンのような形で農作業のときにはいた。戦後、洋服を着る人が増え、忘れ去られようとしていた。
平野さんが知ったのは、岐阜市から石徹白に移住した2012年ごろ。無駄が出ない直線裁ち。最小限の布で動きやすくする知恵。大切な布を少しでも有効活用したい、という先人たちの意思が作り方に込められていた。「曲線で布を切り、どうしてもごみが出る洋服作りとはまったく違う考え方」。衝撃だった。たつけを作ろうと決めた。
幸いだったのは作り方を覚えている人たちが石徹白で存命だったことだ。地域のお年寄りを訪ね、作り方を聞いているうちに、ただの服ではないことを知った。細身のたつけを着て働いていると「かい性ある娘」と評判になったこと。雨が降ると作業を引き揚げ「たつけ」姿のまま皆で踊ったことから今でも石徹白民踊の衣装として使われていること。人々の暮らしが見えた。
石徹白の資源を生かそうと新たな取り組みも始めている。育てた藍や近くで採取した杉の葉、野生のヒメジオンなどで染色をする。民衆の暮らしや工芸品に美を見いだそうとした運動になぞらえ、平野さんは「衣の民芸運動」とたとえる。
たつけ作りは、石徹白に働く場をつくり、人を呼び込む。インターンの大学生も受け入れる。新型コロナ禍の前はたつけ作りのワークショップも石徹白で開いた。
挑戦は地域をにぎやかにする。昭和30年代には千人ほどだった人口は約250人に。しかし、そのうち移住者は約50人だ。児童が4人までになり、閉校も取り沙汰された石徹白小学校は10人に増えた。石徹白保育園は過去最多という15人が通う。
持ち込んだものではなく、地域にもともとあったものをよみがえらせ、自分たちで作る。「たつけは移住者たちの象徴になっている」と平野さん。できれば都心や他地域に店を出したいと夢を持つ。「どこかで手に取った人に石徹白へ来てもらい、この地域の素晴らしさを知ってもらう。そんなサイクルができたら」と願う。





