三木自綱と伝えられる墓。没年の天正15年8月と「大龍院殿休庵真功大居士」の銘がある。休庵は自綱の号=中津川市付知町

 金森軍飛騨侵攻による三木討伐は、後世の軍記物にしか記述がなく、詳細は不明だ。

 養子で2代高山藩主となる可重の侵攻ルートが、郡上市和良町経由で益田入りし、高山市松倉町の松倉城を目指したとすると、三木氏の当初拠点で冬城としていた桜洞城(下呂市萩原町萩原)はじめ次々と攻め落としたと思われる。...