タイ・バンコクからオンラインで取材に答える臼井英樹さん

 2001年の米中枢同時テロから20年。当時、標的の一つとなった世界貿易センタービル(WTC)から200メートルのビルに大垣共立銀行の臼井英樹さん(54)はいた。あのとき、何があったのか。現在タイ在住の臼井さんが本紙のオンライン取材に応じ、事件の中心地で何を見たか振り返った。

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 「これは死ぬかもしれないな」。同行ニューヨーク支店が入居するビルの46階から階段で下りる途中で、臼井さんは同僚と話したことを覚えている。

 支店はWTCから約200メートル離れたビルにあった。01年9月11日朝は普段通り、コーヒーを片手にミーティングをしていた。

 そのとき、ビルが揺れた。「ニューヨークでも地震があるんだ」。紙吹雪が窓の外を舞い始めた。「ヤンキースが優勝でもしたのかな」。同僚が教えてくれた。「臼井さん、WTCが燃えているよ」。1機目が突入したことを知った。

 窓から見ると、WTCに穴が開いていた。火から逃れるためなのか、WTCから何人も落ちていった。

 「今日はマーケットがえらいことになる」。仕事の手配をしようとしていた時、2機目が突っ込んだ。炎が窓の外に迫り、開かないはずの窓がパタパタと回転した。

 逃げよう。臼井さんたちは救急グッズを持ち、業務を記録したバックアップテープをかばんに詰め、階段を30分以上かけて下りた。ビルを出たところで他の行員らと合流。仲間は全員無事だった。「結構落ち着いていたはず」だが、手にはミーティングの時のコーヒーがまだあった。後で知ったが、他行の親しかった行員が崩壊したWTC内にいて、亡くなった。

 テロは世界を変えた。

 当時、米国はブッシュ(子)大統領の人気がなく、景気も良くなかった。だが、臼井さんは愛国心の名の下、米国が戦争に向かって一つにまとまっていく空気を感じたという。「戦争の恐ろしさを感じた」

 差別、憎しみの心も世界に広がったと感じている。米国ではアラブ系、イスラム教徒への差別があった。一方、米国が撤退したアフガニスタンでは「この20年で、米国への恨みが熟成されたのではないか」と話す。

 臼井さん自身にも大きな影響を与えた。「大垣市出身でUターン就職した保守的な人間のはず」が、テロに遭遇し、「ものの見方が完全に変わった」。米国駐在後、香港を経て、現在はタイ・バンコクで勤務。海外歴は地銀の行員としては異例の17年になる。

 一度は死を覚悟したニューヨーク。「現場に行って亡くなった方を供養し、できれば娘を連れていってここで起こったことを話したい」。新型コロナウイルスが収束したら訪れようと考えている。