三木三澤の子孫らが臥龍桜(左)の元に建てたとされる三木祖霊社=高山市一之宮町

 金森氏の飛騨侵攻後、戦国飛騨を彩った各家は歴史の表舞台から姿を消した。飛騨で唯一、三木氏に屈していなかった白川郷の内ケ島氏も1585(天正13)年8月に三木氏が駆逐された後、金森氏に降伏した。

 「飛騨鑑」(新編白川村史上巻)に「右内ケ島兵庫越中において、金森乱入の注進を聞き届け、早々帰陣申し候えども、もはや一国弓矢相済み、国中ことごとく金森へ随(したが)い申すにつき、是非もなし。家老七八人そのほか侍分かれこれ八十余召し連れ、高山へ罷(まか)り出て、金森へ降参申し入れられ候」とある。

 旧領は安堵(あんど)されたが、数カ月後、大地震で城とともに一族壊滅の悲劇に遭う。...